事件発覚当初、遭難者が複数いるのでは?(女性の遭難者がいるのでは?)という可能性がささやかれ、その件に関してはっきりしないまま捜索打ち切りとなってしまったが、1991年2月下旬に遭難者の人骨の鑑定結果が警察から発表されたようで、そのことについて新聞に小さく報道されていた。
愛知の男性と断定
「SOS」の人骨一九八九年七月、北海道・大雪山系旭岳の中腹で風倒木を組んだ「SOS」の文字と人骨などが発見された遭難事故で、旭川東署は二十八日までに、旭川医大の鑑定結果などから、人骨は八十四年七月に行方不明になっていた愛知県江南市の会社員××××さん(当時二十五)と断定した。
(1991年3月1日 朝日新聞夕刊22面より)
尚、遭難者の実名は引用者の判断で伏せてあります
遭難者は男性1人と断定
北海道旭岳の人骨事件一昨年夏、北海道・大雪山系旭岳(二、二九〇メートル)付近の湿地帯で「SOS」の木文字と人骨などが見つかった事件で、旭川東署は二十八日、人骨はすべて、昭和五十九年夏に行方不明になり現場で所持品が見つかっている愛知県江南市××××、会社員××××さん(当時25)のものだったと発表した。
これまでは、骨盤などの人骨が形状からみて女性のものだが、一部は××さんのものとされ、××さんと女性の二人が同じ場所で遭難したとみられていた。
(1991年3月1日 日経新聞朝刊35面より)
ここでも遭難者に関する情報の一部を引用者の判断で伏せてあります
(2003/1/19)
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