2024年8月のメモ

 酒量は減らない。体重も減らない。

 猛暑がすごい。月末に台風が来て多少は涼しくなった。これで涼しいとか言っていること自体おかしいのだが。

 8/5に日経平均暴落。その後しばらく乱高下。

 広島の原爆記念日はイスラエル大使を呼び、長崎の原爆記念日には呼ばなかったとのこと。G7はイスラエルに同調。

 プロアドベンチャーレーサー田中陽希がチームイーストウィンドを離れるとのこと。

 声優田中敦子の訃報。

 鎌中ひとみ監督のDVD作品を購入して視聴。以前観た映画だが、311以前の作品を今観ると新たな意味が出てくる。

 素人の乱5号店で「寝そべり主義者宣言 日本語版」を購入。

 いわゆる「お盆」を過ごした。花火は火薬の炸裂音。恐怖を呼び起こすものである。平和ボケしているとそれを忘れる。

 昔のフィルムカメラを引き取る。専門家にオーバーホールを頼んだ方が良いのだろうか思案中。

 月末の台風、速度が遅い。

2024年7月のメモ

 一か月毎に日記というか備忘録を書こうかと今思ったので書く。

 ここんとこ、平日禁酒が全然できていない。体重も増えている。

 内側からの背中の痛みがあった。数日で消えたし発熱もないが大丈夫なんだろうか。癌とかだったら嫌だなあ。

 暑さが本格化してエアコンが欠かせなくなる。気温が問題なのではない、湿度が問題。

 浴室を磨くためのブラシを買った。

 モンベルクラブの会員証が紙になった。モンベルに限らないかどこもコストダウン!コストダウン!日本が貧乏になっていくのをここ十年以上ことあるごとに見せつけられる。

 東海道新幹線が深夜の保線で事故ってしばらく不通(名古屋-浜松 間)になったらしい。

 花火の季節。火薬の音がデカいし、紛争・戦争地域の人からしたら考えられないな。

 キッズドアなるNPOがおかしな連中のターゲットになっているみたい。議員もそれに乗っかっているという地獄絵図。

 パリオリンピックが始まっていた。オリンピックはいつも「来年開催なのかな?」と思っていたら半月後に開会式しているのでよくわからん。開会式の演出が話題になったらしい。あと、トライアスロン競技は水質の関係で7/31に実施したらしい。

 今年もまた酷暑。日焼け対策にも本腰を入れるようになった。日に焼けると疲労がものすごいので。

2022年6月5日のメモより

 文庫本からメモ用紙が出てきた。おそらく2022年6月にNHK-BSの番組を見ながら殴り書きしたメモだと思う。せっかくなので転載。

NHK-BSをみる。今はもう家でBS見れるが、ここで見るものはやはり違う。

福井の有楽のハナシ。25で嫁入り。10年で人が出ていく。花桃を植える。

福岡筑豊鉄道。子のトラブルで親が体調崩す。

沁みる夜汽車2022春。子がつれない、話してくれない。話しかけても「別に」

よくあることなのか?特殊なコトなのか?

京急の解体場。大学中退。父と廃車両

岳南電車・ソバ屋。やりがい搾取

北条鉄道、キハ40。なぜ自分のカップしか洗わないのか→仕事の配慮とカップ洗いは別だ?

少人数ならやりがい搾取は正当化されるんか?「大人になれ」の欺瞞。

2022年6月5日のメモより

BE-PAL 2023年4月号 におけるミニマル

 ”「もっともっと」という強欲は不安を増大させ、”で始まるBE-PAL。

狩猟採集時代からほとんど変わっていないDNAを持つぼくらの幸福度は、ある程度の食料と装備を手にした段階で、あっさり最大値に達してしまうという。

それ以上何かを獲得しても幸福感が高まることはないのに、大量生産・大量消費の日本では、物質的な欲望は上昇し続ける。

この欲望と幸福度のギャップが現代人を襲う不安の原因なのだ。

すべてが「マキシマル=過剰」に供給される先進国で、この問題を解決する方法はたったひとつ。「ミニマル=足るを知る」の境地を手にすることである。

BE-PAL NO.514 2023年4月号

 すばらしい!しかしビーパルというカタログ雑誌でそれを言うのか…という違和感は拭えない。しかしモンベル特集や国産メンマの話、角幡唯介氏の連載など、よかった。

Amazonリンク: BE-PAL 2023年4月号

意識高い労働者などについて2010年くらいに書いたテキスト

※おそらく2010年くらいに書いた下書きを成形して公開。2024年の今読んでみるとどうだろうか。

 どこかで見かけたんだが、前の衆院選(2009年8月)で民主党が圧勝した理由を「『改革』っぽい雰囲気を醸し出したから今回は民主党が圧勝した。小泉自民党が圧勝した時と同じ構造」というふうに書いているところがあった。
 私は、少し違うことを思った。
 自分以外の、どこかの甘い汁を吸っているケシカラン連中がいて、そういった連中にくっついている特権やカネを政権(例:小泉政権や橋本龍太郎政権)が剥ぎ取ってくれて自分の生活に回してくれる、という「改革」を期待していたら、実は「改革」の対象は自分自身(や自分自身の生活に関係の深いところ)だったでござる、というのがここ10年くらい(もっと?)の「改革」の実態で、そんな「改革」はもうこりごり、という流れなんだと思った記憶がある。
 自分の負担が増えるが福祉や公共サービスは削られる一方だ不況だ生活が苦しい、ということになっているけど、実は結構余裕のある人が多いのか、自分だけはカタワやキチガイや乞食にならないと固く信じている庶民様は相変わらず多いのか。

 ……なんてことを書いたときにはそこまで考えてなかったのでちょっと考えてみた。「自称中流」問題と言ったほうが適切なのかも。
 あと、もう一つ頭に浮かんだのは、「経営者の立場に立ってものを考えろ」問題。どういうことかと言うと、(2010年くらい時点での)ここ何年かの労働者内での流行に「経営者の立場に立ってものを考えろ」というのがあるが、それに変なかぶれかたをして勘違いした労働者風情が「経営者視点(キリッ」でものを語ったりするんですが、彼らの「経営者視点」だと何故か「自分自身が首切りされる」ということは微塵も想定されていない。
 碌に働かない、生産性の低い社員がいる、そういうのが会社全体の利益を損ねてカネを無駄に食っている!経営者的視点から見たらけしからん!合理化だ!リストラだ!頑張っている人にはそういうヤツから剥ぎ取って待遇をあげるべきだ!もちろん俺は待遇の上がる側!と。
 実際そういう面はあるのでそれは100%間違っているわけではないですが、それを語る自分自身は本当に生産性を上げているのか?待遇が上がる側の人間なのか?「自分が頑張っている=会社に貢献している」とは限らないわけです。というか労働者であるおまえを評価するのはおまえじゃないんだよ。
 会社の話に限らず、「俺は頑張っているから首にならない」「俺は改革の対象にならない」とあまりに無邪気に信じすぎている人が多いのでは?実は私(や他の誰か)は見る人によっては目に余る穀潰しかもしれないし、他人を搾取して甘い汁を吸っている特権階級かもしれないわけです。

 まーあとはさんざん他の人も言ってますが「自分より下を探してそれを血眼になって叩いても自分の冴えない人生は何も良くならないよ」問題とか。表現は違っていても全て同じような人間の性を指しているのでは。

 なんてことをつらつらと考えました。

 話はもう少し続く。あとは、「自分はエリートでもなんでもないのに物言いがやたらエリートかぶれ(しかも変な方向に)で、もしも社会や制度がおまえの言うとおりになったらおまえが一番割を食うんじゃね?」問題とか。

 梅田望夫氏の「ウェブ時代をゆく」という本がある。昔こんな感想を書いた。

 あと、アメリカのコンサル屋さんゲーリー・ハメルの書いた「経営の未来」という本にも似たようなニオイを感じた。

 で、こういう人達の語る「新時代の企業活動のありかた」「人間の生き方のありかた」というのは、エキサイティングで楽しそうだ!という面もある一方で、厳しさや残酷さもあるわけ。もちろん、それが未来のスタンダードになっていく可能性もあるわけだが。
 こういう未来像は俺に利益をもたらすんだ!という考え方はアリだし、私もそういう夢想をしがちなのだが、それによって自分自身が消耗し疲弊していく可能性について考えてみてもいいんじゃない?とも思う。
 で、もっちーやゲイリーさんも、新時代の生き方の厳しい一面にも一応は言及しているわけだが、にもかかわらず、脳天気にそういった厳しさは全く目に入っていないように見えるレビューや読書感想文を目にする。「おまえ本当にこの本読んだの?」と言いたくなるような。

 もちろん、こんなことを言う私みたいな人は、かつての産業革命直後の「機械打ちこわし運動」者と同じ扱いになるのかもしれないが、「技術の発展によって人間はラクになると思っていたのに全然ラクにならんなあ」とも思うわけ。つーか、労働者であるおまえ、そこのおまえだよ、あんたラクになったんか?

 最後に、梅田望夫のこの日記。

 「尋常でない体力の持ち主だけがサバイバルできる」だそうですが、ハイハイそれっていつの前近代?とツッコミを入れたくなる。というかそういうツッコミも出来ないほどみんな知能が疲弊しているのか?

コロナ禍でマスクを憎む人が生まれた

 コロナ禍が押し寄せて来た時、いわゆる「マスク警察」が問題になった。マスクをしない人に攻撃的になるというアレ。

 で、マスク警察に対する批判も出てきた。そのこと自体は良いんだが、その中からおかしな考え方が生まれてきた。

 マスク着用者を嘲笑ったり攻撃的な言葉を浴びせたりする、しかも支離滅裂。酷くなるとマスク自体を敵視する。

 曰く「もうマスクしていないのが多数派、マスクしてるのは少数派だからアホ!」(マスク着用者が多数派だった時、あなたはアホだったんですか?)、あるいは「他人がマスクしているかどうかなんて俺も皆んなも気にしていないんだよ!」と言ってた人が「今外に出るとマスク着用者はn割くらい、まだマスクしてるバカがいる」などと言っていたり(他人がマスクしているかどうかなんて気にしていないって設定はどこいった?)。

 コロナ禍というのは、人間の知性や思考力に関する残酷な現実を浮き彫りにしてしまったのだ。マスクそのものに敵意剥き出しの人に至っては、コロナ前もそんなにマスクを憎んでいたのですか?と聞きたくなる。

 

2024年3月2日の新聞記事

 中日新聞の記事より三点。まずは高木毅に関するもの。

中日新聞 2024年3月2日 朝刊

自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件を受けて1日開かれた衆院政治倫理審査会で、発覚時に安倍派事務総長だった高木毅前国対委員長(衆院福井2区)は「関与していない」「分からない」を繰り返した。地元の有権者からは「本当とは思えない」「説明が不十分」と厳しい声が相次いだ。

中日新聞 2024年3月2日 朝刊

パンツ戦争」の高木毅さん、何も新しいことを語らず。嘘をついてもペナルティーが無い政倫審という状況。地元有権者の声が載っている。責任のなすり付け合いに余念がないもよう。素晴らしいですね。

続いて、柿沢未途被告の東京地裁公判に関する記事。

東京都江東区長選を巡り区議ら10人に計約280万円の供与や申し込みをしたとして、公選法違反(買収など)の罪に問われた前法務副大臣の元衆院議員柿沢未途被告(53)の公判が1日、東京地裁で

中日新聞 2024年3月2日 朝刊

検察は懲役2年を求刑。さらに、「公判で事件の経緯に関する説明を避け真摯な反省はみられない」と主張。

最後に、三重県の津田健次県議のハラスメントに関する記事。

津田県議は1月19日に委員会室で雑談中、元看護師の吉田県議に「今度風邪をひいたら、あやちゃん看病に来てね」と発言。吉田県議が「2万円もらったら行きますよ」と返すと「来るときに看護師の格好をしてきてもらおうかな」などと続けた。

中日新聞 2024年3月2日 朝刊

津田健次県議は「これまでこのようにコミュニケーションを取ってきた。会話がしやすい雰囲気をつくろうとしたつもりだった」と言い訳。コミュニケーション・会話がしやすい雰囲気、などと言えばハラスメントが正当化されると思っている知能と人間性、素晴らしいですね。

安全と水はタダか?

 岩明均の漫画「寄生獣」、作品終盤に美津代という人物が登場する。美津代が観ているテレビの討論番組でコメンテーター(舛添要一似)が「日本人は安全と水はタダだと勘違いしている」という旨の批判をし、それを観ていた美津代は「そんなもんタダに決まってる」と毒づいていた。

 最近になって、上述のこのシーンを思いだすことが増えた。「日本は治安が良くインフラが整備され安価に医療にアクセスができて〜」という言説にどんどん違和感が生じているからだ。今はまだそう言えるかもしれないが、そういう社会だったのを寄ってたかって壊してきて今も嬉々として壊しているのが日本人ではなかったか?

 「将来の日本はこうなる」「正規雇用などという特権がなくなり〜」とか、「AIに仕事を奪われるいやそんなことはない」、などと姦しい。それはいいのだが、賢しらに語っている人たちの中にも、「日本の安全はタダで未来永劫それが続く」という前提を疑いもぜず得意気に将来の日本について講釈を垂れている人たちがいる。これが「平和ボケお花畑」ってやつですかね。

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27周年

 27年が経ちました。今の自分の姿を27年前の自分は想像していただろうか?

 だいぶ前からそうだったけど、「お金が得られないならブログやってる意味がない、報われないならブログなんかやっても仕方ない」という考え方がある。ブログを始める動機が金を得ることだというのは否定しないし私だってお金は欲しい。でも、「自分の書きたいことを書いて誰かに読んでもらいたい」「極端な話、誰も読んでいなくても構わない、とにかく書きたい」から個人ホームページを始めた私には「お金が得られないからブログやっても仕方ない」という考えは理解はできるがピンとこない。

 インターネットで金儲けなんてとんでもない!もっての外!という感覚があった人、それを覚えている人、そもそもそれを知っている人、はどんどん少なくなっている。

 アクセス数やダウンロード数に価値を見出している人たちが宇宙人に見える時がある。その数字、そんなに有り難がったり目標として(時に金をかけて)追うような価値があると思ってる?正気か?と思うことが今でもあるけど、正しい人はそういうことをそもそも考えない。

2024年1月6日の新聞

 2024年正月は少し遠出をしていた。普段目にしない地域の新聞を読む機会があったので紹介がてらメモ。

 2024年1月6日の中日新聞。能登半島の大地震よりも経済団体へのご機嫌伺いが大切な岸田文雄総理の記事。経済団体の人たちのご金言の中に見覚えのある名前が。

経済同友会の新浪剛史代表幹事は「可処分所得を増やすことが重要。社会保険料が上がらないよう取り組んでもらいたい」と注文を付けた。

中日新聞 2024年1月6日 朝刊

増税に関する発言で批判されてきた経済同友会の新浪剛史代表幹事(サントリー社長)の名前を見つけた。不穏な発言を公の場マスコミの前でした人物に対する批判を声を挙げて実施することが如何に重要なことかがよくわかる。「声をあげたところでどうせ何も変わらない」などと賢しらに放置していたら今もふざけたことを放言していただろう。私は「〇〇不買運動」的なことをしたことがないのだが、サントリー製品に関しては今も不買を続けられている。

 続いて同記事に、三井不動産の植田俊社長の発言があった。

バブル経済崩壊後に業績が悪化した日本企業は人件費を抑え続けた。だが「ここにきて間違いだったと気付き始めた。付加価値が正当に評価されないし、報われない」(三井不動産の植田俊社長)

中日新聞 2024年1月6日 朝刊

 いま気付いたんか植田俊。バブル崩壊から何十年経ったんだ。

 そして、2024年1月1日 16時10分頃に発生した能登半島地震の被害状況。被災者・被災地が見捨てられることのないよう、納税者として国や自治体に求める。

能登半島地震の主な被害 2024年1月5日午後4時までの、石川県などへの取材に基づく

中日新聞 2024年1月6日 朝刊