“誰も傷つかない”SNS

 2023/9/24にDYSTOPIAというSNSがリリースされた。投稿をAIが検閲し、必要に応じて表現を変えてタイムラインに表示される。

 色々試してみるユーザがいるようだし、ChatGPTの課金の都合で投稿ができなかったりと色々あったみたいだが、私もアプリを入れて試してみた。

「釣りキチ」「釣りバカ」は検閲されたが「釣りキチ三平」は検閲されなかった。

 また、「親はなに躾けてたんだ?」は検閲されなかった。されないのか。

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/spv/2309/25/news103_0.html

嫌いな連中に自分の意見を決めてもらう人生

 さまざまな話題(2023年9月現在だと、インボイスとか神宮外苑再開発とか)に対して「自分はこう思っているんだけど、嫌いな連中が自分と同じ意見を言っているので意見をいう気が失せた/自分は間違っているんじゃないかと不安になった」という旨の発言をしている人を複数(というかかなりの数)見かけて素朴に驚いている。

 仲の良い人・好きな人だからといってその人が自分と同意見とは限らないのと同じで、たまたまある話題に対して嫌いな連中が自分と同じ意見を持ったとしても「まあそういうこともあるよね」なのではないか。

 ただ、忌避感や不安を鎮める解決法が無いことはない。あなたの嫌いな連中の発言を日々観察し、あなたはそれと反対の意見を“自分の意見”として採用すれば良い。

 それって「嫌いな連中に自分の意見を決めてもらう」ってことなのだけど、嫌いな連中が自分と同じ意見を言うことに忌避感を持ったり不安になったりしてしまうのであればそうするしかない。他人はコントロールできないのだから。

 それってしんどい人生だなあと私は思うが、そうは思わない人が実は多数派で「普通」なのかもしれない。

コロナ対策にマスクは不要!な人の考えかたの一例

 今も続くコロナ禍において、マスクをしないという選択を続けている人がいる。その人のものの考え方が特徴的だったので所感を書く。

 このかたは以下二つの旨、発言していた。

 まず、2023年にマスク着用が原則任意になったが、それ以降マスク着用者が減っているのを見て「(2023年9月現在)半数以上は素顔の中、いまだにマスク着用しているサラリーマンの方々、アホやなぁ」と発言していた。

 そして二点目。「(コロナ感染者が)最近増えてきているらしいからって、それって何処で?あなたの周りでバタバタ死んでいるんですか?テレビのニュースとかで、どうやら増えているらしいって報道されてるだけじゃないの?」とも。

 まず、マスク着用している人をアホと言っている根拠が「半数以上は素顔」であるという点。この考え方を採ると、2021年2022年当時の、マスク着用者が多数派であった状況においてノーマスクを貫いたこの人は「アホ」ということになってしまう。当時半数以上はマスクをしている状況だったのだから。ご本人はそれでいいのだろうか?

 そして定点観測でコロナ感染者が増えていることは普通にニュースになっている(例:NHK)。学級閉鎖もニュースになっているし(例:読売新聞)、自治体からは学級閉鎖等の情報も公開されている(例:荒川区)。

 また、「自分の周りでコロナ感染者がいない・コロナ死した人はいないのだから感染者は増えていない」という展開は筋が悪い。「私の周りで強盗や殺人は起きていない。ゆえに強盗や殺人は存在しない」と発言したらそれこそ「アホやなぁ」と言われてしまう。

 マスクしてる連中はアホ!コロナ感染は拡大していない!という世界観に浸る自由はあるが、自分の表現することに自己ツッコミを入れる訓練は採り入れたほうがいいと思った。他山の石。

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人に向けて自転車のベルを鳴らす問題

 2023年6月に「自転車に乗っている時に、進行方向に歩行者がいた。その時に自転車のベルを注意喚起のつもりで鳴らしたら歩行者にキレられた」という記事を目にした。

 まず、自転車のベルは車のクラクションと同じでむやみに鳴らしていいものではない。あくまで非常時に鳴らすものである(道路交通法の第五十四条(警音器の使用等)2項)。しかし、自転車は乗るのに免許が必要なわけではない。ベルはむやみに鳴らすものではないということを知らない人も多いだろう。

 自転車に乗っていて、前方に歩行者がいたとする。その時「自分が通ることを歩行者に知らせるために自転車のベルを鳴らすのがルールやマナーである」と考える人は実は多いのではないか。

 自転車のベルを鳴らす際に、「自分はルールやマナーを守って、前方の歩行者に自分の存在を知らせるためにベルを鳴らしている」とピュアに思っている人は多いのではないか。そして、それを自分の子供に教えている人もいる。というかそういう人を見かけたことある。

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令和版ライフハックでステップアップ

https://anond.hatelabo.jp/20230614143801

 2000年代後半(ゼロ年代後半)にはてな界隈で「ライフハック」ブームがあったことを思い出させる文章。「イキがって若者ぶってるおっさん」という心ないコメントもあるが、私はそんなことは言いません。また、「闇バイト」に関してニュースで言われている程度のことも知らないのも微笑ましい。

 そんなところも含めて2000年代後半の「ライフハック」ブームを思い出す。中学公民の内容も踏まえずに「世の中は変わらないんだから自分が変わるんだ」と卑屈なフレーズを何故か得意気に発しつつ「ぼくのかんがえたさいきょうのしゃかいほしょう」を開陳なさっていたお歴々は、今どこで何をしているのだろう?

 あの頃の「ライフハック」が15年くらいの時を経て、日本がますます貧しくなった令和の時代に生まれ変わったのが冒頭のリンク先の文章であると案が得るとなかなか感慨深い。

 ゼロ年代のライフハッカーは「どうせ世の中は変わらないから選挙に行くなんて時間の無駄!そんな時間があったらスキルアップしてキャリアアップ!」の結果今どうなったのかを発信すべき。答え合わせが求められているのです。ブログを書こう!

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AIのそれっぽさ

 筆者はAIの専門家ではありません、素人です。ここに書いたことはテキトーなので間違えたことを平気で書きます。

 ChatGPTが衝撃を持って知られた時にそれを触りつつ思ったことを書く。

 ChatGPTのことは忘れて、まずは、すべての問いかけに「はい」と答えるAIを考える(それがAIと呼べるかどうかは措いておく)。何を問いかけても「はい」としか言わないけど、時たま「おおっ!すげえ受け答え!」と思う時もある。

 続いて、すべての問いかけに「はい」「いいえ」をランダムに答えるAIを考える。すると前述のAIに比べて「おおっ!すげえ受け答え」と思う頻度は増える。

 さらに、問いかけに含まれる単語に応じて定型的なフレーズを答えるAIを考える。すると更に「おおっ!すげえ受け答え」と思う頻度が更に増える。

 このような流れで考えると、ChatGPTというものは「20世紀の人工無脳や、それ以降に出てきたワードサラダがもっと更に凄くなったもの、それらの延長線上にあるもの」と考えることができる。

 もちろん、これは大変すごいものなのだけど、「スゲーそれっぽいもの」とも言える。ChatGPTは、元ネタの情報量の膨大さと、処理能力の凄さを駆使した結果「スゲーそれっぽいもの」ができた、とも言えるのではないか。

なんとかPay、現金でチャージできるものは?(2019/7頃に書いたもの)

 以下は、2019年7月に書いたメモ。今の状況がどうかは知りません。

 QRコードスマホ決済のサービスが話題になっている。最近(2019/7現在)だと7payのセキュリティ問題

 QRコードスマホ決済を使ってみたい。しかし、個人情報を登録したり、ましてや銀行口座やクレジットカード口座情報を登録なんてもっての外。Suicaのように、現金チャージのプリペイドカードのように使えるサービスをまずは使ってみたい。

 PayPay。住所氏名メールアドレスなどの個人情報は登録しなくてもいい(スマホアプリのセキュリティ設定は別)。銀行口座やクレカ情報の登録をしなくてもいい。セブン銀行ATMから現金でチャージできる。

 調べているうちに気になったサービスがある。ゆうちょPay。利用するにはゆうちょ口座の登録が必須だし、ポイント還元は今のところないが、コンビニ支払票に順次対応とあり、これは魅力的。

26周年

 26年経ちました。

 親類縁者の没年や寿命を見て、自分の残り時間に当たりをつけるようになった。その年齢までは惨めな状態にならないよう、健康的で文化的な生活を送りたい。
まだ心身は動くつもりでいるが、徐々に弱ってきてまともでなくなることも視野に入れつつ、やりたいこと好きなことができればいいな、そんな身分では無いが。

 最近、新しく??サイトを見つけた。拝見するとサイト歴は私と同じくらいのかただ。昔このかたのサイトを見たことがあるのかないのかは覚えていないが、懐かしい気分になった。

昔はこういうサイトを趣味で作っている人々が沢山いたものだが、 そういう人達はどこへ行ってしまったんだろうか。 Twitterなどに吸収されてしまったんだとしたら罪な話である。 いまでは自前ドメインでこういう日記風のものを書くというスタイル自体が 古くさいと感じる。とはいえ、そもそも新山は日本語のページを もうほとんど見ないんだけど…。

https://tabesugi.net/memo/2022/c.html#272324

 ブログという形で日記風のものを書いている人が今もたくさんいるが、どこかの会社が提供しているブログサービスが多い印象。サービス提供自体が終わると、本人に思い入れがなくなるとブログもそのまま終わってしまうんだろうな。

 geocitiesなどが無くなって過去のホームページが消えていったあの問題は今も続いている。インターネットには基本的に何も残らないのだ。ホームページだろうがブログだろうがSNSだろうが。

可処分所得はどんどん減っていく&外食の話

消費税は10%になったが、これからも上がるそうだしものわかりの良い普通の有権者様はそれを是とするだろう。
そして、収入はおまえら自身のせいで増えないのだ自己責任だ、という社会に今度ますますなっていく。「収入が増えないから働がざるを得ない」を「高齢者はみんな働きたがっている」と言い換えられて良いように使いつぶされていく。

いやあ、終わってますね。

となるとどうなるか、財布のひもを締めざるを得ない。だって政府からそう動機づけられているんだから仕方がない。どんどん景気は悪くなっていくがそれが政府の方針なのです。

ところで、最近気づいたことがある。ささやかな外食のために出かけて店に入ると、「そんなに混んでないのに席に通されずにしばらく待つ」「注文したものが出てくる時間が明らかに遅くなった」というのが増えた。
そりゃ仕方ないよね、お店だって色々大変で値上げするしバイトの数を減らさないとやってけないもんね。

さて、私にできることはなんだろう?外食しに行っても店の忙しさに拍車をかけるだけなので、外食は控えている(少なくとも頻度は減った)。自分の生活防衛のために財布の紐も締めないと野垂れ死んでしまう。今後は今より良くなるなんてファンタジーをみんなで否定してそのような政策がすすめられているのだから仕方ない。

仕方ないんじゃ。

かつてテレビが通った道の再発見

メディア空間にもっと〝分断〟を煽りたい ABEMA Primeプロデューサー・郭晃彰=ノンフィクションライター・石戸諭

 ABEMA Primeプロデューサー・郭晃彰氏に関する記事。「ネットニュースは地上波とどう違うのか、」などについて探っていく記事だそう。

 郭氏は大学卒業後テレビ朝日に入社し、その後Abema TVに転じる。テレビからインターネットに活動の場を移し、両者の違いを体験する。

視聴者が喜ぶのなら、何をやってもよいというのだ。開局の目玉だったニュース番組もまた同様で、企画だけでなく出演者の選定まで、テレビでは考えられないような自由があった。無論、自由を謳歌(おうか)するにも力がいる。

 「視聴者が喜ぶのなら、何をやってもよい」。これ、まさにテレビがかつて通った道そのものでなかなか味わい深い。テレビとインターネットは違うんだ!と進んでいる道が、かつてのテレビが通った道そのもの。

 閉塞感漂う時代に「風穴」をあけることになるのか目が離せない。

 あ、あと、「違い」と「分断」は別物です。

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