27周年

 27年が経ちました。今の自分の姿を27年前の自分は想像していただろうか?

 だいぶ前からそうだったけど、「お金が得られないならブログやってる意味がない、報われないならブログなんかやっても仕方ない」という考え方がある。ブログを始める動機が金を得ることだというのは否定しないし私だってお金は欲しい。でも、「自分の書きたいことを書いて誰かに読んでもらいたい」「極端な話、誰も読んでいなくても構わない、とにかく書きたい」から個人ホームページを始めた私には「お金が得られないからブログやっても仕方ない」という考えは理解はできるがピンとこない。

 インターネットで金儲けなんてとんでもない!もっての外!という感覚があった人、それを覚えている人、そもそもそれを知っている人、はどんどん少なくなっている。

 アクセス数やダウンロード数に価値を見出している人たちが宇宙人に見える時がある。その数字、そんなに有り難がったり目標として(時に金をかけて)追うような価値があると思ってる?正気か?と思うことが今でもあるけど、正しい人はそういうことをそもそも考えない。

26周年

 26年経ちました。

 親類縁者の没年や寿命を見て、自分の残り時間に当たりをつけるようになった。その年齢までは惨めな状態にならないよう、健康的で文化的な生活を送りたい。
まだ心身は動くつもりでいるが、徐々に弱ってきてまともでなくなることも視野に入れつつ、やりたいこと好きなことができればいいな、そんな身分では無いが。

 最近、新しく??サイトを見つけた。拝見するとサイト歴は私と同じくらいのかただ。昔このかたのサイトを見たことがあるのかないのかは覚えていないが、懐かしい気分になった。

昔はこういうサイトを趣味で作っている人々が沢山いたものだが、 そういう人達はどこへ行ってしまったんだろうか。 Twitterなどに吸収されてしまったんだとしたら罪な話である。 いまでは自前ドメインでこういう日記風のものを書くというスタイル自体が 古くさいと感じる。とはいえ、そもそも新山は日本語のページを もうほとんど見ないんだけど…。

https://tabesugi.net/memo/2022/c.html#272324

 ブログという形で日記風のものを書いている人が今もたくさんいるが、どこかの会社が提供しているブログサービスが多い印象。サービス提供自体が終わると、本人に思い入れがなくなるとブログもそのまま終わってしまうんだろうな。

 geocitiesなどが無くなって過去のホームページが消えていったあの問題は今も続いている。インターネットには基本的に何も残らないのだ。ホームページだろうがブログだろうがSNSだろうが。

25周年

 四半世紀経った。何もしなくても時間は過ぎるとはいえ、驚いている。

 2020年2月頃から日本でもコロナ禍モードに入り、それから二年経つがまだ終わる気配がない。国内外の移動に(制度的・心理的な)制限があるのが意外に堪えている。こんな「25年後」になっているなんて昔の私はもちろん考えていなかった。

 年齢を重ねることで、身体的に衰えを感じているが、思っていたよりもずっと身体が動かなくなっている。そして同時に好奇心や意欲も衰えている気がする。音楽や本に触れる頻度は本当に少なくなった。そして「普通」にすらなれなかった惨めで冴えない人生に愕然としたりもしている。

 もう残り寿命のほうが少ない(年齢的にそう考えて問題ない)中、どう生きていくかを考えている。できること楽しいことをやっていきたいな。

24周年

 24周年。干支が二周した。本当なのか。

 「普通」になれないと人生苦労する確率が高いけど、「普通」になれない奴はどうあがいてもなれない。かしこい人はそういうことにとっくに気づいているが、なかなか気づかない人もいる。もっとかしこく生まれたかった。

 「普通」になれるのなら努力でもなんでもしてなればいいけど、なれない奴がそれをやっても病んでキチガイになって「存在価値のないキチガイは死ねば?」という扱いを受けるハメになる。

 「普通」にすらなれなくても人生は続くし惨めったらしく野垂れ死にたくない。「普通」にすらなれない自分の特性をもっと早く自覚できればよかったのに。

 人間や社会は時としてブラックボックスで、そのブラックボックスの動作原理を探りながら生きている。昔に比べればなんとなく解った気にもなる一方で、何も解ってないんじゃないか?という気分にもなる。自分はいちいちお勉強して経験を積んでも「普通」のレベルにすら追いつけないようだ。

 24年前にこのサイトを始めた時のことを書く。当時「ハイパーノイヅ」というサイトがあったのだが、ハイパーノイヅは「自己紹介サイト」を自称していたと記憶している。今思うと、個人サイトってのは確かに「自己紹介サイト」だよなあと思う。

 あの時、面白いサイトが既にいくつもあったけど、みんなあの時から24年分歳を取っているのだ。え…そんなに…?

23周年

 もう23年前とはすっかり生活も変わったし、可能性もどんどんと失ってきた。「普通」のレベルを満たすことの大切さも身に染みて理解している。「普通」が何なのかは未だによくわからないけど、自分が「普通」にすらなれずこの先もなれる見込みが非常に薄いことはわかってきた。

 何年か前は、もうここで書きたいことは一通り書ききった、と思っていたけど、ここ何年かはまだまだ書きたいこと言語化したいことが湧き出ているなと思っている。気力体力が無いのでなかなかできないけど。

 みじめったらしく野垂れ死ぬ可能性に怯えて生きる社会は健全ではない。本当にそう思う。まあでも楽観的に考えて生きれば楽観的な状態の方向に引っ張られるらしいですよ?

22周年

 ファミレスで平日午後にビールが安くなる時間帯があり、そこでサラダを食べビールを飲みつつ本を読んでいた。

 「人間」や「社会」というのは何故斯様に複雑怪奇なのか、ということを昔から考えていた。そしてその疑問はますます強まっている。どうして同じような体験をしても人によって受け止めかたが違うのか?どうして「普通」という言葉を何の疑問もなく発することができるのか?「自己コントロールをして”社会”に適応しよう」。それって「健康のためなら死んでもいい」というジョークと同じ臭いがするんだけど?

 そういった疑問を持たずに済む人生を送れなかった「欠陥品」はどう生きればいいんですかね?どのように「生きることを”社会”にお許しいただければ」いいんでしょうかね?

 これを「卑屈な考え」とされているうちはまだマシだけど、今はどうなっているのだろう。

 そんなこんなで、22年前には興味もなかった分野のお勉強をちょっとずつしている。「お勉強だけはできるバカ」ってフレーズがあるけど、お勉強すらできない人間はお勉強します。

21周年

 ここに書いたこともそうだし、それ以外のところで書いたことやHDD内に書いたきり放置したものも含め、昔書いた自分の文章をたまに読むことがある。こいつ物を知らないし頭悪いなと思うんだけど、今の自分よりもはるかに文章が面白いな、と思うことが多い。

 昔の自分が何を考えて文章を書いたのか、覚えていることもあるしさっぱり覚えていないこともある。で、恥ずかしくなるようなものもあるのだけど、それも含めて、頭の良し悪しや面白い面白くないにかかわらず、とにかく文章を書いて残したほうがいいと思う。人に見せる見せないは別に考えればいい。自分自身を後で振り返ることができるか、というのは大事だと思う。昔はあまりそういうことを考えなかったけど、ここ何年かはそんな風に考えている。

 自分のことは自分が一番よくわかっている、と思いがちなんだけどそうとも限らないし、もしかして自分は自分のことを何もわかっていない、自分の状況をモニタリングすらできていない、のかもしれないのですよ。
 それでもいい時期もあるんだろうけど、そういったことに無頓着なままだと自分にとってよろしくない、そんな時期もあるんだろう。自分自身の状況をきちんとモニタリングする。それを他人に説明できるよう言語化できるようにする。それか自分にとって必要なことなんだろうなと思いつつ、たまにはここに何か書いていく。

20周年

 本当に20年経ってしまったのか、でも経ったんだよなあ。というのが正直なところ。なんか遠くに来てしまったなあ。
 20年前は今(つまり20年後)のことなんて想像できなかった。極端な話、生きているのかどうかすら想像できなかった。でも現実として今も自分はここにいる。
 20年前は、他人がそれを読むかどうかなんてことは関係なく、とにかく言いたいこと書きたいことがあってホームページを始めたことを覚えている。で、時間が経って一通り言いたいこと書きたいことはもう吐き出しつくしたのかなと思ったし実際そんな感じだった。
 ただ、今はそれとはまた別に、言いたいことというか、言語化したい・しなきゃいけないことがあると思っている。昔とは違った種類の、自分の考えていることを他人に伝わるように言語化する欲求や必要性があることは実感している。
 自分は自分のことなんてわかっていて当たり前だろと思っていたけど、全然そうじゃないと気づいたのは割と最近なので、まだここはしばらく続きます。

19周年

 今後の人生どうなるのかということを最近急に考えるようになった。どうなるんでしょうね。
 さて、ここで書きたいという思いが湧き上がらなくなってきたり、たまに湧き上がってもまあいいかと思うことが増えてきた。脳の働きがどんどん弱っているのだろうか。メモや記録程度のことでもいいからとにかく書いたほうがいいのだろうな。文章力はどんどん落ちている。とにかく書くということは重要なんですよ。誰よりも自分自身にとって。

18周年

 何もしなくても時間は過ぎるとはいえ、18年経ったらしいということに驚いている。18年前は何を考えていたんだっけ。何か色々書きたいことがたくさんあったような記憶がある。

 たまにはここも更新して、読んだ本のこととか書きたいんだけどなかなかできない。まあ、あまり焦らずにやっていきます。