速水健朗 著「自分探しが止まらない」読み終えた。「自分探し」の変遷と、現在の日本における「自分探し」とは何なのかについて述べられていた。ここでは、私がこの本を読んでちょっと気になったこと、自己啓発についての私の考えを書く。
自己啓発書が生み出すのは一時的な高揚感、もしくは癒しのみである。またそれがなくなってしまうと、高揚感や癒しを与えてくれる似たような本や体験を求めて、延々と「自分探し」を繰り返す
この本で繰り返し出てきた表現なのだが、「自己啓発→高揚感を得る→高揚感から冷める→自己啓発(以下繰り返し)」という自己啓発にはまるというサイクルがあるらしい。自己啓発への接し方として、私はこれに違和感を覚えた。
自己啓発の高揚感はほどなく冷める。自己啓発で得たものの大部分はその時に自分の中から消えてしまう。ただ、僅かに何かが残る場合がある。あるいは自己啓発中を振り返り、あの高揚感はなんだったのか?自分はどうしてあんなに高揚していたんだろう?そこに何かがあったのか単に自己啓発の手法によるものなのか?などなど考える。
自己啓発で得られるものというのはそういうものだと私は思っている。自己啓発ってのはその熱が冷めてからが大事なんじゃなかったのか?
自己啓発の類は、一時的にハイになるためのクスリ、あるいはドーピング剤みたいなものだと思っている。常にそれを使い続けていたら心身を壊してしまう。一時的にそれが必要になる局面は確かにある。でも常にそれを摂取してハイでい続ける必要があるのだろうか?というかそんなことしてたらいつか廃人になるぞ?常にハイでい続けられる人ってのがたまにいるけど、お前みたいな凡人に同じ真似ができると本気で思ってるの?
自己啓発によって何かを得たり何かを学ぶことはある。でもジャンキーのようにそれを摂取し続けるという光景はとてもグロテスクに見える。モンティ・パイソンの「幸福の王国物語」をもっとけちくさく陰湿にした感じ。
破滅するぞ地獄に落ちるぞ上昇できずに負け組になるぞ低クオリティなみじめな人生が待っているぞ、そう脅され続けてその恐怖から逃れるために自己啓発というクスリを日常的に摂取し続ける。そうでもしないとやってられない世界になりつつあるのか、あるいは既になってしまったのか。そうだとしてそういう世界をおかしいと思わないのか。
なに?世の中の流れや仕組みはどうせ変えられない?前向きな発想・ポジティブシンキングとはその程度のものか、クスリで無理矢理ラリって安い給料で使い捨てられる程度の「自己実現」しかできないか、人間の力を信じられないこのネガティブ野郎め。
2008/03/14追記:「自分探しが止まらない」書評
http://gijutu.dreamlog.jp/archives/1357451.html
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