本当に20年経ってしまったのか、でも経ったんだよなあ。というのが正直なところ。なんか遠くに来てしまったなあ。
20年前は今(つまり20年後)のことなんて想像できなかった。極端な話、生きているのかどうかすら想像できなかった。でも現実として今も自分はここにいる。
20年前は、他人がそれを読むかどうかなんてことは関係なく、とにかく言いたいこと書きたいことがあってホームページを始めたことを覚えている。で、時間が経って一通り言いたいこと書きたいことはもう吐き出しつくしたのかなと思ったし実際そんな感じだった。
ただ、今はそれとはまた別に、言いたいことというか、言語化したい・しなきゃいけないことがあると思っている。昔とは違った種類の、自分の考えていることを他人に伝わるように言語化する欲求や必要性があることは実感している。
自分は自分のことなんてわかっていて当たり前だろと思っていたけど、全然そうじゃないと気づいたのは割と最近なので、まだここはしばらく続きます。
月: 2017年1月
Win10マシンにOBS Studioをインストールした後で…
先日、知人のPCセットアップを手伝った。OBS Studioというアプリをインストールして、その後にそのアプリを起動しようとすると、msvcp120.dllだかmsvcr120.dllだかがないというメッセージ(どちらかのメッセージなのだが、どっちだったのか忘れてしまった)が出てOBS Studioが起動できなかった。
調べてみたところ、
http://loumo.jp/wp/archive/20151010000051/
このような情報を見つけた。ここに倣い、MSのサイト
Visual Studio 2013 の Visual C++ 再頒布可能パッケージ
から必要なランタイム コンポーネントをインストールしたところ、無事にOBS Studioが起動できた。
Mio LINKのバッテリがヘタってきたのでMio FUSEを購入した
心拍計(HRM)のセンサーとして、2014年に手首に巻けるタイプのものを購入した。2014年6月に購入したMio LINK。これ、バッテリの持ち時間は公称6~8時間とある(2014年当時は8~10時間と書いてあったような記憶があるんだが…)。
さて、このMio LINKを2年以上使っていたのだが、2016年の9月に6時間40分くらいでバッテリが切れた。2016年の10月には5時間40分くらいでバッテリが切れた。週末メインに使っている程度なんだが、もうバッテリがヘタってきたのか…
正直、この程度の時間でバッテリ切れになってもらっては困るので、Mio FUSEを購入。ディスプレイなんて要らないんだけど、Mio LINKを超えるバッテリ容量が必要なので。
公式サイトから13,450円くらいで購入した。でもさっき(2017年1月)見たら10,800円になっていた。
私はPolarのV800と組み合わせて使っている。どうも10時間くらいはバッテリはもってくれるもよう。
- http://yjc.air-nifty.com/main/2016/04/mio-fuse-7850.html
- http://o0yoshidakun0o.blog120.fc2.com/blog-entry-1306.html
- http://magmalog.cocolog-nifty.com/wata3/2016/02/post-dedf.html
Mio 活動量計 【日本国内正規販売品・保証付】MIO FUSE ミオ フューズ クリムゾン (Lサイズ) 継続的心拍測定ライフトラッキングデバイス Bluetooth SMART/Bluetooth 4.0 ANT+対応
Mio |
いろいろな生産の形
#372 アイデンティティとは、いま、そこにある捨てられずに残ってしまう何か 石川 竜一さん(写真家)
MAMMO.TVにあったインタビュー記事。
たまたま知り合った精神科の医師と話す機会がありました。そこで話題になったのが、「治療とは結局は何なのか?」でした。
精神病院の治療とは、生きづらさを抱えて患者と呼ばれるようになった人が社会でやっていける状態に持っていくことです。そこで僕が考えたのは、「社会」とは資本主義とか生産性のことです。治療は、社会からこぼれた人を入れ直して「生産性をあげましょう」と言うようなものです。
でも本当にそうなのか。少し考えたら普通にわかるのは、別にそうである必要はないことです。もっと別の生産の形があることの方がおもしろいんじゃないか。いまの社会に適応している人だけでは行き詰まっているのだから、生きづらい人をそこに引き入れても仕方ない。
いまの多数派の人で作られている「社会」や「生産性」ではなく、もっといろんな形であり得るはず。というのも一人ひとりが違うわけだから、そこまでバラしてみたら、全部「それもありだね」で並べられるんじゃないか。そちらの方がおもしろいと思います。
なるほどと思いつつも、「いまの社会に適応している人だけでは行き詰まっているのだから、生きづらい人をそこに引き入れても仕方ない。」という部分には引っかかった。「いまの社会に適応している人だけでは行き詰まっている」からこそ、「生きづらい人」を引き入れることも大事なのではないか、と。ただ、こういう私の考え方は「社会(石川氏の言うところの「資本主義とか生産性」)」じみた考え方なのだろうなあとも思う。
しかし、「別にそうである必要はないことです。もっと別の生産の形があることの方がおもしろいんじゃないか。」というのも確かにその通りで、色々な形があったほうがおもしろいし、より生きやすいだろうなあと思う。