「あなたの家族や友達がどう思うか」

 去年出たポスターの話題なんだけど、このキャンペーン自体は最近も見かけたのでまだまだ続くのかな。

暴力行為防止ポスターを 7月15日(火)から各駅構内、電車内で掲出します!(平成20年)」

暴力行為防止ポスター(平成20年7月・車内吊り)

 暴力行為を防止するために「あなたの暴力行為を家族や友達が見たらどう思うか」という呼びかけをする、っていう発想がステキだなと思う。こういう抑制方法が有効な人は未だに多いし、こういう発想を素朴に当たり前のものとして受け入れている人、本気の善意でこういう呼びかけを真顔でする個性的な人も多いので、まあ民度というか知能に合ったポスターだなと思う。

 一方、こういう発想は人を抑圧するという面もあるし、家族や友人がいない人、「家族や友人」という足枷が通じない人もいる。こういう方便は今後ますます効かなくなってくる(こういう方便のバカバカしさに気づく人は今後ますます増えてくる)と思うので、暴力防止を呼びかける人・人間社会に暮らす人はいつまでも上記ポスターみたいな方便をバカのひとつおぼえみたいに叫ぶのでなく、人間や社会の変化にちゃんと対応していかないと今後は辛いと思うよ。

 というかさ、この暴力行為防止の呼びかけって「暴力をふるわれた人」の存在が見事なまでにすっぽり抜け落ちているのが面白カッコイイ。そういうのっておかしいなとか思わないんだろうか。やっぱり世の中には個性に溢れた変わった人が多い(少なくともポスターを作る側が「個性に溢れた変わった人が多い」と見込んでいる)んだなあ。

 日本で継続的に行われてきた個性に溢れた教育の成果、それに加えて「俺が誰かを殴るのはそれなりの正当性があるんだ!」みたいな無意識の何かがあるからこういう面白い呼びかけポスターができあがるんだろうな。

 で、このポスターを見たときに思い出したのが下のエントリ。ニッポンの教育は継続して成果をあげ続けているのだなあと感心する。

http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20050626#p2

 話が横道に逸れるが「みんなに迷惑をかけない」問題と関連して、ずっと以前から心の片隅に引っかかっている証言がある。
 数年前、少年院の教官をしていた年長の知人に聞いた話では、近年の不良(ヤンキー系ではなくチーマー系だろう)は、傷害事件など起こしても、意外にあっさり反省するという。
 ただ、そこで、なぜか被害者への謝罪の言葉は出ず、決まって「お父さんやお母さんに迷惑をかけて申し訳ない」と言うのだという。

 どうよ?

 罪というのは、本来、加害者と被害者の一対一の関係で決まるべきはずだ。
 ところが、「被害者」に対してではなく、自分の側の「みんな」に対してどうであるか、それが罪になるかの基準というわけだ。
 本末転倒と言うよりないだろう。

 これはもう教育の成果だね。日本社会で継続して行われている教育の成果。確かに本末転倒だと俺も思うけど、それでいいと思っている素朴な善意の人が多いんだから仕方ないよね。

 未成年による殺人事件が起きるたびに「誰かに対して殺意を抱いたとしてもご両親や今までお世話になった人たちのことを考えれば『あの人たちに迷惑をかけることはできない』と思いとどまれる筈だ」なんて得意気に言っていた人たちからみればまさに完璧な「教育の成果」だよ。日本の教育は崩壊してる?何を言っているの?日本で行われている教育は立派に成果をあげていますよ。もっと自信を持とうよ!

※2009/5/10追記:
 下記のエントリをたまたま目にした。

http://fragments.g.hatena.ne.jp/nisemono_san/20070131/1170253367

つまり、「迷惑をかけてはいけません」ということであり、『ECDIARY』風に言えば「迷惑をかけている人を血眼になって探して叩こうとする世界」でもあるわけだ。つまり自分が暴力を振るう正当性を探しまわる。しかし、何処まで言っても暴力に対する正当性は埋められないわけで

 日本社会は「迷惑をかけている人を血眼になって探して叩こうとする世界」であり、同時に「家族や友達が見たらどう思うか」と称して叩く行為を抑えようとする倒錯した社会なのだ、という解釈もできるな。
 あるいは、暴力行為をする人を「迷惑をかけている人」と認定して、そういう人を「血眼になって探して叩」く社会か。