ポール・ラファルグ(マルクスの次女ラウラの夫)によって書かれたもので、フランス語で書かれた原文の初版は1880年の刊行とのこと。平凡社ライブラリーの文庫本には「怠ける権利」「資本教」「売られた食欲」が収録されている。
「怠ける権利」において、労働者が労働の奴隷になっているのは労働者に原因があるとしている。
また、次のように指摘する。
経済学者たちは、たえず労働者に向かってくりかえす。社会の富を殖やすために、働け!と。しかし、別な経済学者、デスチュット・ド・ドラシーは彼らに応える。「貧しい国家とは、とりもなおさず国民が裕福な国家である。富んだ国家とは、国民が一般に貧しい国家である」と。
「働くことによって、おまえ達は貧乏を深める(すると資本家は法で労働を強制しなくてもよくなる)」 労働をさせてくれと労働者のほうから言ってくる。どこかで聞いたような話ですね。老人は働きたがっているということにしたいどこかの国で聞く話。
「資本教」のラストは信仰を捨てられないのでおおっぴらにdisれない信者の悲哀が出ていて味わいがある。
「売られた食欲」は、飽食の金持ちの食事の消化を肩代わりすることになった食い詰めた貧民の悲劇。
この話の設定として、「妊娠出産を肩代わりすることと満腹感を肩代わりすることはできなかった。しかし、後者を肩代わりすることができるようになった」というものがある。2026年現在の視点からすると、「妊娠出産を肩代わり」するテクノロジーの方は実現可能になってしまったね、と言う感想を持った。
二つの能力、女の懐妊能力と消化能力だけは、資本主義的愛他主義にまだつかまらずにいます。だれもまだこれらを商品化できず、処女の純潔や僧侶の徳、議員の良心や作家の思想、化学者の学問がおちいっているようあ、売買できるものにはまだできずにいます。この奇蹟を遂げる者は、シャルルマーニュ大帝より医大で、ニュートンよりすぐれた学者と崇められることになるでしょう。
そうなれば金持ちの女は、長い苦しい月日、胎児を腹にかかえ身体の線を崩すことなく、貧しい女の胎内に受精卵子を預けることになります。九ヵ月の間、この子宮を雇われた女は、資本家の胎児を自分の血肉で肥えらせるのですが、その間彼女は貧乏から一休みをいうわけです。生まれてはじめて、心ゆくまで飲んだり食べたりして休息します。
代理出産が実現し、様々な問題が露呈している今読むと震える。1880年にこれ書いたのか。
Amazon購入リンク:「怠ける権利」ポール・ラファルグ