手軽に世界は変えられません/出来損ないの運動としての大量懲戒請求 – ユウガタ – 断片部
このエントリを見てつらつらと考えたこと。
- 少なくともここ二十年くらいは「改革」を求める雰囲気がある。
- 景気が悪くなる(自分に余裕が無くなる)とその傾向が更に強まる。
- 社会を変えたい。だけど自分は継続的に何かをしたくはない。手軽に変えたい。
- っていうか自分以外の誰かが自分の都合のいいように社会を変えてくれないかしら。
- ちょっとの苦情で簡単に店や店員が頭を下げるような傾向になっている(ように見える)。気にくわないCMやイベントに対してもっともらしい苦情を言えば簡単にそれらが中止される(ように見えることもある)。世の中バカが多くて疲れません?
- あとは、「ネットの力」(わらい)、なんてものの威力がたまに話題になる。
- 手軽に社会って変えられるんだ!という気分が脹らんでくる(実際手軽に変えられるかどうかは別問題。というか、気分だけ脹らんでいる人も実は社会なんて変えられないと無意識に思っていたりする)。
で、上記のような「社会の雰囲気」「庶民(わらい)のニーズ」を上手にすくい上げて、上手にアピール&パフォーマンスを行って、上手に庶民を煽ると、新感覚報道バラエティー番組や選挙で人気者になれます。で、その人気者が「庶民のニーズ」に実際に応えているのかあるいは「庶民の支持」を背景に「庶民」のクビをじわじわと絞めているのかどうかはいくつかある過去の実例を参照のこと。
こーゆー傾向はここ二十年くらいで更に強まっている、という世界観。
さて、
長嶋監督時代に巨人のヘッドコーチを務めた須藤豊は、人前でも平気で殴る指導者として選手に恐れられていた。
春のキャンプでは練習前に選手を宿舎の食堂に集めて毎朝、ミーティングを行った。緊張感を持たせるため、須藤は注意事項やプロとしての心得を説いた後、選手に質問を投げかけるのが常であった。野球センスの塊だが、飽きっぽい元木大介に対する質問は決まっていた。「継続とは何だ?答えてみろ」。
元木が、「はい、継続とは力なり、です」と答えると、たいていミーティングはお開きで、選手は食堂からぞろぞろと球場へのバスに乗り込むのだった。
しかし、来る日も来る日も「継続とは何だ」としつこく問われ続けた元木は、ある日、「おい、大介!」と問われて、「継続とは……疲れます!」と答えた。ああ殴られる、とみんなが思った瞬間に須藤が漏らした。「うん、確かに疲れるな」。
(「こんな言葉で叱られたい」清武英利 文春新書773 p107-p108)
こんな言葉で叱られたい (文春新書) 清武 英利 文藝春秋 2010-09 |
別に野球の話がしたいわけではない。政権交代が起きた選挙の直前一ヶ月くらいの間、自称「特定の集団に属さず特定の政治思想やイデオロギーを持たない一般の一市民」様が、同じような自称をする人達によって作られたWEBサイトから「特定の政治思想やイデオロギーではない」PDFをDLして、それを大量にプリントアウトしてポスティングするという「特定の政治思想やイデオロギーに基づく政治活動」を行っていた。そのビラを見るに、彼ら彼女らは「日本の危機が危ない!」ということを訴えていたようだが、選挙によって政権交代して以降すっかりその手のビラを見なくなった。日本の危機は去ったのか、それとも彼ら彼女らは、自身の感じている危機感を感じるあまりイギリスに渡米したのか。
継続は疲れるからこそ、お手軽に社会を自分の望む方法に変えたいという欲望は頭をもたげてくるし、そこにつけ込み利用する「人気者」たちも後を絶たない。