ナチュラルに人間扱いしない

 使い捨て労働者(マイルドな言い方をすると「雇用柔軟型」の労働者)をナチュラルに人間扱いしない人ってのがいるのな、もう息をするように。そういう人がいるってのは知っていたけど、ここ何年かではっきり見えてきた。で、そういうのが偉そうに経営や人生訓を語って「人間が大事」とか言ってたりする。なるほど、使い捨て労働者は人間じゃないとナチュラルに思えるから一見矛盾するようなことをしゃあしゃあと言えるわけだ。「使い捨て労働者は人間じゃない」という前提なら全ては矛盾無しにすっきりと収まるね。で、更に「貧困は自己責任」「労働者はお上に甘えすぎ」とか言うわけだ。おまえが人間扱いされないのはおまえの自己責任、だと。
 それと関連して、「経営者の視点に立ってものを考えろ」という物言いがあるけど、あれは経営者にとって都合のいい従業員育成の側面もあるのだな、ということを思った。残業代をケチるとか責任を従業員側に押しつけるとか。あとは従業員同士での五人組制度。
 で、「経営者の視点に立ってものを考えろ」という訓辞により一定の割合で誇大妄想狂の従業員が出てきて「経営者すなわち俺」「経営者視点でみたらこいつらクビだね(ただし俺除く、と素で信じ込んでいる)」というお笑いショー(巻き込まれる人にとっては笑えないが)が開催されることもあると。
 経営者になる気もなる能力もない人たちにもしっかりと浸透している「経営者の視点(笑)」

参考:
http://fragments.g.hatena.ne.jp/Tez/20061120/p1

 期間工を採用すれば正社員の雇用が安定する、と論者は言う。
 期間工を雇わなければ、正社員をたくさん雇うことになる。もし不景気になれば、減産に伴ってその正社員を大量「リストラ」*1しなければならない。
 ここまでは理解可能だが、ここからさきが意味不明である。
 非正規社員である期間工は、減産に伴って速やかにその数を減らすことができる。その分、正社員を「リストラ」する必要はないのだ。それはすなわち、期間工の青年が職を失うということを意味するはずである。

 にもかかわらず論者は「これは、期間工に犠牲となれというものではな」いというのだ。そして「一人でも多くの人材が正社員として役割を担ってほしいと望むことでもあ」るという。期間工を雇う分正社員の数は雇わないときに比べて少なくなるというのに?
 なるほど正社員は期間工がクビになれば減産に伴って職を失うこともなかろう。しかし、期間工を雇わなかった*2場合に大量採用されクビになる「正社員」とは誰か?期間工がそこに相当するのではないか?
 この論者の主張はこのように意味不明であるが、人間=「人材」とは「正社員」であり、期間工はヒト以下の存在だと考えれば、なんということはない、すっきりと意味が通る。正社員がクビになるのはかわいそうで、期間工が「契約更新は無し」なのは当然なのである。確かに「人間」は平等である。

http://www.mammo.tv/interview/archives/no251.html

 いつの時代もエリート層は選民意識をもっていたろうし、彼らのインナーサークルでは、それこそが一般的な考えだった。ただ、最低限の嗜みとして、人としてあまり乱暴なことはいわなかった。

 たとえば、大学卒業後、私は日本工業新聞に入り、鉄鋼業界を担当する記者になりましたが、業界に特化した新聞のため、ふつうの新聞社ならそれなりの実績がないと会えない新日鉄や日本鋼管の社長に取材することができました。
 彼らは強烈なエリート意識の持ち主でしたが、対極に学力が低いとか勉強する気が人がいたとしても、それは当人だけのせいではなく、社会階層や家庭環境の要因もある。そういうことを知っていました。
 私は若造だったから、何よりもまず彼らのエリート意識に反発を感じたのですが、教えられること少なくなかった。とにかくエリートは鼻持ちならない奴だと一方的に決めつけられない要素をもっていました。
 けれど、教育改革を進める人たちには、自分たちと違った環境で生きている人への頓着がいっさいなかった。強い立場の人があまり威張ってはいけないなど、子どもでもわかる話なのにね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

five × 1 =