年初に立てた目標の達成おめでとうございます

 十日菊とももさんが「さて 2008/1/28の日記にて、ケコーンしてくれる人を探そう、という抱負をあげましたが、実は本日婚姻届を出してきますた。まあ結構早かったんじゃないかなと思っています」とのこと。九ヶ月せずに目標達成という電光石火っぷりにも関わらずこの余裕。
 ことの顛末の詳細を楽しみに待っておりますおめでとうございます。

経営の未来

 企業を取り巻く状況が急激に変わっているので経営の革新が必要ですよ。下っ端も含めた従業員全体に自由にアイディアを出させてそれを民主主義と市場で絞り込むってのはどう?という内容。いかにもアメリカ人的だなあと思った。民主主義と市場は正しい、という前提。市場や民主主義が正常に機能するには前提条件があるということを読む側は忘れないように。この本とは直接関係ないけどクラウドソーシングについてもそう。
 やたらテンション高く前向きに語っているところ、そして新たな世界は希望がある一方で別の厳しさもある、というあたりが梅田望夫「ウェブ時代をゆく」を彷彿とさせる。そういえば二人ともコンサル屋さんでアメリカの人か。
 「別の厳しさ」(当たり前のことでもあるんだけど)というのは、例えば従業員のアイディアが1000個あったら、その中で検討に値するのは100で投資に値するのは10で儲かるのはあってせいぜい2,3個、でもその2,3個を最初から特定するのは無理、とかそういうの。「群衆の叡智」ってのもそうなんだろうなあ。経営者や従業員が99%以上のゴミに耐えられるのかどうか。ゴミの山から宝をどうやって見つけ出すのか。
 もうひとつ感じた「別の厳しさ」は、従業員の力を効果的に使う実例(有機食品スーパーとかゴアテックスとか)が書かれていて、こりゃ経営的にはいいし楽しい人には楽しいんだろうけど人間の消耗が激しくなるだろうな、と思った。日本で言うとトヨタ的に。人間のアイディアを根こそぎ搾り取っているわけだからね。企業活動ってのはそういうレベルにまで行きつつあるんだなあという感慨。この本にあるような経営革新が進んだら、次はその辺が大きな問題になるんじゃないか。

 最近のこの手の本の常道としてGoogle社の話が出てくるんだけど、あの会社は所謂「Aクラス」の人しか採らないようにしている。最初からAクラスの人だけで物事を進められるような仕組みを構築しているということだ。そうではない会社の人間が「Aクラスだけ集めたらプロジェクトがスムーズに進みました」なんて得意気に言ってもあまり意味がない。大抵の人間は、Aクラスばかりでない他人あるいは自分をどう使って効率よく物事を進めるかという縛りからは逃れられない。
 限られた権限しか持たない人がイノベーションをするための実践例が参考になる。小規模に影響の少ないところから始めて効果を出し、全体に展開していくという実例。

 ここからは本の内容とは直接関係ない話。Aクラスの人しか採らないというあたりの話で頭に浮かんだこと。

 『能力の低い人を集団に入れると全体に悪影響をもたらすという所謂「腐ったミカン」的な考えってのは何なんだろう。一人の腐ったミカンが原因で集団全体が腐るとしたら、それは集団構成員各々の自助努力が足りないというか、結局腐りやすい性質を構成員一人一人が持っているということなんだよね。まさに構成員の自己責任。ポジティブさや人間力が足りない!ってこと。腐ったミカンをきれいにするくらいのポジティブさを持って欲しいね。』

みたいなことを言い出す人をもっと見かけてもいいように思うんだけど案外見かけないのが不思議。

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「世の中を変えようとするより自分を変えたほうがいい」という発想を納得して受け入れること、できる?

 「世の中を変えようとするより自分を変えたほうがいい」
 最近またこの手の言葉をちょくちょく目にするようになった。まあ大抵は労働や生き方の話で出てくる。
 この手の言葉を初めて聞いた時に私が思ったのが「なんて後ろ向きネガティブな考えなんだろう、この人そんな発想で生きてて楽しいんだろうか」ということだった。それから時は流れ、あの時と全く同じ考えでいるわけではないが、あの時の驚きというか衝撃は今でも覚えているし、未だにこの手の言葉を聞くと違和感がある。
 最近になってこの手の言葉を聞く機会が増えているのだが、この種の言葉を発する人たちは自分がネガティブだとは全然思ってなく、むしろポジティブな発言をしていると本気で思っているように見える。これは私には不思議に映るし興味深い。
 別にポジティブ/ネガティブが良い/悪いなんて話をしたいわけではない。人間の能力や可能性の力を見いだせない人だっているし、それで「どうせ世の中なんて変わらないさ」と下を向いて卑屈に生きることだってそれはそれでひとつの生き方だ。
 言ってる本人が「自分は前向きポジティブ人間!」と振る舞っているように見えることには違和感を感じるし不思議な現象だなとは思うけどね。

 ここでちょっと別の話を。

http://www10.cds.ne.jp/~tomomo/index.cgi?D20080531

今朝の2っ系「不満爆発させる韓国の10代」。米国産牛肉輸入制限撤廃に対し学生デモが頻発しているそうで。曰く、その牛肉を食わされるのは給食を受けている学生だ、とのこと。韓国では民主化を経験しているので「市民運動に参加すれば成果を得られるという意識が根強い」のだそーです。社会を変えられると思える社会、いいですね。

 「世の中を変えようとするより自分を変えたほうがいい」と言いながらも、そういう考え方に対してどこかで違和感や抑圧めいたものを感じちゃう人ってのは、こういうニュースや「社会を変えられると思え」て行動しているような人をあまりいい目で見ないんだろうな。心の底から納得して「世の中を変えようとするより自分を変えたほうがいい」って思えてその通りに行動できる人なら他人が余所でどう振る舞おうと揺るがない筈なんだけどね。「いい目で見ない」程度ならいいんだけど、社会を変えられると思って行動している人を積極的に叩いているのを見ると、ああこの人は本気で「世の中を変えようとするより自分を変えたほうがいい」とは信じてない(しかも自分でそのことに気づいていない可能性もある)んだろうなあ、と思う。典型的な「向上心ある人の足を引っ張る」タイプ。
 中途半端に「世の中を変えようとするより自分を変えたほうがいい」って思いこんで(思いこまされて)しまったがために逆にそれに抑圧されて潰れたり、自分にかかる抑圧のフラストレーションを解消するために「社会を変えられる」と思っている人を不毛に叩いて足を引っ張ってあまり質のよろしくない人生を送ったり、更には他人の人生を不毛に狂わせちゃったりする人もいるんだろうな、なんてことを思った。
 誰かに煽られて脅しめいた言葉を受けて、不安や恐怖から自分が納得しきれないお題目に囚われてしまうくらいなら、下に引用するような発想を持って行動したほうがいいと思うんだけどねえ。というか世の中だけがとか自分だけがとか、世の中はそんな極端というか単純なものじゃないよねえ。難しい人には難しいのかな。
 「世の中を変えようとするより自分を変えたほうがいい」という発想を納得して受け入れることができてその通りに行動できるのなら、少なくとも赤の他人の行動を不毛に叩いたり足を引っ張るようなことはしない筈なんだけどね。
http://www.mammo.tv/interview/archives/no189.html

今の社会のしくみをきちんと理解し、今ある社会に適応して、その中に自分の居場所を見つけていくという側面も必要です。同時に、今の社会のしくみをきちんと批判し、これからの社会を新しく作っていく主体になるという側面も若い世代に求められています。私もこれからいっそう努力します

http://www.mammo.tv/interview/archives/no226.html

特にいまは格差社会だということで「うかうかしていたら生きていけない」「こうやって生きないと人としてダメだ」といった脅迫めいたことを言う人も多い。自分がやりたいことができなかったらといって、人にもそうしないようにさせようなんて最低ですよ。
そういう話をいっさい聞かないで、全部逆のことをやってみるのもいい。「そんなの聞かないよ。知らないよ」って、それくらいやってみせて、びびらせないと相手はつけあがる一方ですよ。こちらがびびって、「まじめにやんなきゃ」と思うと調子に乗るから、強気の態度が必要ですね。

自己啓発の使い方

 速水健朗 著「自分探しが止まらない」読み終えた。「自分探し」の変遷と、現在の日本における「自分探し」とは何なのかについて述べられていた。ここでは、私がこの本を読んでちょっと気になったこと、自己啓発についての私の考えを書く。

自己啓発書が生み出すのは一時的な高揚感、もしくは癒しのみである。またそれがなくなってしまうと、高揚感や癒しを与えてくれる似たような本や体験を求めて、延々と「自分探し」を繰り返す

この本で繰り返し出てきた表現なのだが、「自己啓発→高揚感を得る→高揚感から冷める→自己啓発(以下繰り返し)」という自己啓発にはまるというサイクルがあるらしい。自己啓発への接し方として、私はこれに違和感を覚えた。

 自己啓発の高揚感はほどなく冷める。自己啓発で得たものの大部分はその時に自分の中から消えてしまう。ただ、僅かに何かが残る場合がある。あるいは自己啓発中を振り返り、あの高揚感はなんだったのか?自分はどうしてあんなに高揚していたんだろう?そこに何かがあったのか単に自己啓発の手法によるものなのか?などなど考える。
 自己啓発で得られるものというのはそういうものだと私は思っている。自己啓発ってのはその熱が冷めてからが大事なんじゃなかったのか?
 自己啓発の類は、一時的にハイになるためのクスリ、あるいはドーピング剤みたいなものだと思っている。常にそれを使い続けていたら心身を壊してしまう。一時的にそれが必要になる局面は確かにある。でも常にそれを摂取してハイでい続ける必要があるのだろうか?というかそんなことしてたらいつか廃人になるぞ?常にハイでい続けられる人ってのがたまにいるけど、お前みたいな凡人に同じ真似ができると本気で思ってるの?
 自己啓発によって何かを得たり何かを学ぶことはある。でもジャンキーのようにそれを摂取し続けるという光景はとてもグロテスクに見える。モンティ・パイソンの「幸福の王国物語」をもっとけちくさく陰湿にした感じ。
 破滅するぞ地獄に落ちるぞ上昇できずに負け組になるぞ低クオリティなみじめな人生が待っているぞ、そう脅され続けてその恐怖から逃れるために自己啓発というクスリを日常的に摂取し続ける。そうでもしないとやってられない世界になりつつあるのか、あるいは既になってしまったのか。そうだとしてそういう世界をおかしいと思わないのか。
 なに?世の中の流れや仕組みはどうせ変えられない?前向きな発想・ポジティブシンキングとはその程度のものか、クスリで無理矢理ラリって安い給料で使い捨てられる程度の「自己実現」しかできないか、人間の力を信じられないこのネガティブ野郎め。

2008/03/14追記:「自分探しが止まらない」書評
http://gijutu.dreamlog.jp/archives/1357451.html

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大学院進学

http://d.hatena.ne.jp/nobuhiro-n/20041201
 友人知人に博士課程後期までいったヤツが複数いたよなあなんてことを思い出した。そのうちの一人とはたまに会うのだが、やっぱり職に就いて食っていくということを気にしている。