会社員の世界は正直よく知らないのだが、一時期よく耳にした「経営者視点」ってなんだったのだろう。「経営者」がそれを言うのならわかるんだが、経営者でもない、なるつもりもない人がしたり顔で「経営者視点での業務遂行」を説いていた。滑稽だなと思いながら聞いていたが、その言葉を発している人は大抵真顔なので、自分の発言に何の疑問も持っていないんだろう。
不思議で仕方ないのが、「経営者視点を説く労働者」(以下「Aさん」とする)の発言に見え隠れするAさんの意識。
Aさんの話に出てくる「経営者」には、なぜかAさんやAさんの所属部門を「不要な経営資源」として切り捨てる「経営者」は存在しない。口先だけでも「危機感」とか言ってるのはまだマシなほうで、そういう意識すら無いのも結構いる。
AさんやAさんの所属部門を評価するのはAさんではない。Aさんは経営者じゃないんだから。なのに、自身が「不要な経営資源」として切り捨てられる可能性に関して無頓着だったりする。「頑張る」「スキルを身につける」「経営者視点で会社に利益をもたらす」とは言うが、それはAさんをAさん自身が評価しているだけの話で「経営者」のAさんに対する評価ではない。「経営者」と「Aさん」が一体化しているという前提がないと意味のない話ではなかろうか。もしかしたらAさんの脳内では「経営者と一体化しているハイブロウな俺ちゃん」というファンタジー設定が具現化しているのだろうか。いったいAさんはどのような会社生活を送っているのだろう、色々な意味で気になる。
社会人は経営者の視点がないと生き残れない気がするのですが、どうでしょう?:片岡麻実の「チャレンジド×IT=ユニバーサルデザイン!?」 – CNET Japan
ここでなかなか興味深いやりとりがあった。どうもコメント欄は既に無くなっている?ようなのだが、自分のメモに残っているやりとりを紹介したい。
> 会社の利益を上げなければお給料を本来もらえないのでは?
そのひと言では何とも言えません。
経営者はそれが日常的に利益を上げることが仕事ですが従業員は与えられた仕事を正しくこなすのが仕事。研究開発などもそうですが利益が上がらなくても誰かがやらなければならない仕事など世の中たくさんあります。
極論ですが会社の規模がどうあれ、たった1人の行動や判断のおかしな社員がいればその行動や判断次第で会社が傾くことだってあり得ます。だから「経営者」には質の高い行動と確実な判断が求められます。でも行動のおかしな社員に「あなたも経営者たれ」なんて言ったらどうなるか?
Aさんの持っている「経営者の視点」が「実際の経営者の視点」とあまりに違いすぎるとまずかろうなと思う。「自分は経営者と一体化している!」という、脳内設定と現実の区分が曖昧になってしまったAさんが「経営者すなわち俺」と「経営者の視点」を振り回すと「会社の利益」を損ねる確率が上がるだろう。しかも、現実と脳内設定の境界があやふやになってしまったAさんはその自覚を持てるだろうか?「経営者の視点を持つ俺が会社の利益を損ねているなんてありえない!」となってしまう可能性は?
さて、
ワタミ会長「ビルの9階で会議中に、『今すぐここから飛び降りろ!』と平気で言います。」:アルファルファモザイク
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「罵倒の後優しく」という定番の奴隷製造メソッドと、そうやって仕立て上げた奴隷に経営者の権限や責任や待遇を与えることなく「経営者目線」を要求する、という奴隷活用のテクニックがある。
権限も責任も待遇も与えないままに「経営者目線」を要求したって、せいぜい「気分だけ経営者」(「名ばかり管理職」みたいなものだと思ってください)になった奴隷が自分の気にくわないヤツを指して「あいつはせいさんせいがひくいからりすとらでちゅーばぶぅー」にしかならないのではなかろうか。
まあ、渡邉美樹氏のような経営者からしてみればそれでいいし、また、それで満足してしまう「気分だけ経営者」な「経営者視点を説く労働者」も結構たくさんいるのだろうなあ。
当人が満足なのはいいんだけど、こういった人を抱えている企業や周囲の人は大変だろう。
そしてまた別のブログで興味深い指摘が。
それは経団連用語の「主体性」を誤解していますね
集団や組織に懐疑の目を向ける唯一者としての主体性ではありません。むしろ、集団や組織と一体化する主体性です。
これは、組織の一員として自分が組織を背負ったつもりで、地位は平社員であっても社長になったつもりで、まさに自分自身を組織の主体と考えて行動できる性質のことです。島耕作的主体性とでも言いましょうか。
企業の言う「主体性」と、大学が受け取る「主体性」のズレ
企業側は「こちらが何も言わなくても、自主的にこちらの意向を汲み取り、自主的にこちらの望む行動をする人材が欲しい」という意味で「主体性のある学生が欲しい」と言っている
「気分だけ経営者」な「経営者視点を説く労働者」とは「企業の求める主体性」の持ち主である、と言うこともできそうだ。もちろん「Aさんが脳内で思い描く自画像」と「経営者が実際に求める人物像」のミスマッチはあるのだが。
一昔前のドラマにありそうな「俺は会社のために身を粉にして頑張ってきたのに…」というのと似たような悲哀を感じる。本人は「俺は企業(経営者)の求める人材なんだ!」とハッピーに(あるいは必死に)思いこんでいるのに経営者はそうは思っていないという…