「生きる意味のない命」という「正しい」考え

「 相模原事件を考える~公判を前に 被告と面会した牧師の奥田さん いま伝えるべき言葉とは」https://mainichi.jp/articles/20191213/k00/00m/040/313000c

 2016年7月26日、相模原市の「津久井やまゆり園」で19人を殺害し26人を負傷させた植松聖被告。その植松被告と接見した牧師、奥田知志のインタビュー記事。

 記事の中で「役に立つ人間になりたい」「他人に迷惑をかけてはいけない」「自分で自分のことができないうやつは死ね」「生きる意味がない命」「生かしておく余裕はこの国にない」といった言葉が出てくる。

 実に「正しい」考え方のオンパレードで、この記事を読んでいると、いつ自分は「正しい」人たちに殺されるのか、そして殺されても同情すらされることなくむしろ「あんなの死んで当たり前だろ」という世間様社会様の「正しい」コメントをいただくことになるのか、と暗澹たる気分になる。

 そして、別の事件のことを思い出す。2019年6月1日に元農水事務次官・熊沢英昭容疑者が息子を刺殺した事件。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65763

 以前からそんな風潮はあったけど、最近はますます露骨になっている。私自身はいつ「生きる意味がない命」認定されて殺されるのだろう、という恐怖。

 因みに、「殺される」ってのは刺殺なんて直截的で分かりやすい方法ではなく、もっと巧妙な「正しい」方法で殺される、ってことね。

 そして、「自分が”生きる意味がない命”認定されるわけないじゃない」というファンタジーを無邪気に信じ続けられる人たちがたくさんいるというホラー。

 私も一生ファンタジーの世界に生きていたかった。

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