衆院選に関連して色々思ったこと

 2009年8月30日に、衆議院議員総選挙が行われた。

 事前から「民主党圧倒的優勢!」みたいに騒がれていたので、これは自民党と創価学会と電通とユダヤ資本とコミンテルンとGHQと日教組と朝鮮総連によるマスコミ工作に違いない、政権交代はあるにしても民主党圧倒的勝利までは行かないだろうと思ってたんだけどそうでもなかった。

 まあ、政権交代ってのが実際に起きるんだ、ということが示されたってのは一歩前進したという意味では大きいんじゃないかと。ずっと政権にいたが故に政党としてグダグダになってしまった自民党がついに(ようやく?)、といった見方もあるんだろうけど。
 しかしすごいよなあ。自民党圧倒的ゆりしー大勝利からたったの?4年でああなるんだから。自民批判票が民主党にばっかり集まるのか、という印象はあるけど。逆に言えば、この先もどうなるかはわからないわけだ。

 ちょっと前からそうだったけど、自民党の迷走っぷりや自滅っぷりが目も当てられないほど酷かった。わざとやってたんじゃないかと思えるくらい。今回の選挙に関して言えば、今までやってきた政策、これからやろうとしている政策を普通にアピールすればいいのに、わざわざ自分の首を絞めるようなネガティブキャンペーンに力を入れていたのはよくわからなかった。ネガキャンをやりたいならやればいいけど、細心の注意を払わないと逆効果だし、まずは自分とこの政策や実績や今後の展望を具体的にアピールしてからでないと。「反対だけの野党」じゃないんだから。ただ、ああいうことをすると得票結果にどう影響するかのデータは採れたと思うので、今後に活かしていくんだろうな。
 政策に関する具体的な話が全然見えなかった(少なくともそういう印象を持たれてしまった)のも自民党的にはまずかったんじゃないか。具体的にこれこれこういう政策を行って、その結果経済を上向けるとか国民の暮らしを豊かにするとか、そういう話が聞こえてこなかった。もしかしたらあったのかもしれないけど効果の程も疑わしいネガキャンにかき消されていた。「自民党に任せないと日本が大変なことに!」とだけ言われてもねえ。なんというか、今回の自民党は、昔「ダメなものはダメ!」って喚いて失笑を買っていた社会党みたいだった。日本国や日本国民としての私の生活は選挙が終わった後も続くのでもっとしっかりしてほしい。自民党に限らないけど。

 ここ数年、なし崩し的に自分の負担は増え公的サービスは削られ、という状況で、おそらく同じように実感していた人がそれなりにいたので、自公政権に対する風当たりがきつくなるのは避けられなかったんだろうなと思っている。で、次は民主党がチェックされる立場になるわけです。

 私の生活に関して言えば、楽な暮らしがしたい、せめて今よりまともな暮らしがしたいという要求がある。で、それが実現することが最大の関心事なので、政権にいるのは誰でもいいわけです極端な話。私の生活や人生はこれからも続く。

 あと、今回の選挙イベントを通じて思ったのは、各政党がオフィシャルに発している情報をもっとチェックしたほうがいいな、ということ。それだけでなく、普段から、議会や自治体や省庁の発している情報もチェックするようにしよう。

ナチュラルに人間扱いしない

 使い捨て労働者(マイルドな言い方をすると「雇用柔軟型」の労働者)をナチュラルに人間扱いしない人ってのがいるのな、もう息をするように。そういう人がいるってのは知っていたけど、ここ何年かではっきり見えてきた。で、そういうのが偉そうに経営や人生訓を語って「人間が大事」とか言ってたりする。なるほど、使い捨て労働者は人間じゃないとナチュラルに思えるから一見矛盾するようなことをしゃあしゃあと言えるわけだ。「使い捨て労働者は人間じゃない」という前提なら全ては矛盾無しにすっきりと収まるね。で、更に「貧困は自己責任」「労働者はお上に甘えすぎ」とか言うわけだ。おまえが人間扱いされないのはおまえの自己責任、だと。
 それと関連して、「経営者の視点に立ってものを考えろ」という物言いがあるけど、あれは経営者にとって都合のいい従業員育成の側面もあるのだな、ということを思った。残業代をケチるとか責任を従業員側に押しつけるとか。あとは従業員同士での五人組制度。
 で、「経営者の視点に立ってものを考えろ」という訓辞により一定の割合で誇大妄想狂の従業員が出てきて「経営者すなわち俺」「経営者視点でみたらこいつらクビだね(ただし俺除く、と素で信じ込んでいる)」というお笑いショー(巻き込まれる人にとっては笑えないが)が開催されることもあると。
 経営者になる気もなる能力もない人たちにもしっかりと浸透している「経営者の視点(笑)」

参考:
http://fragments.g.hatena.ne.jp/Tez/20061120/p1

 期間工を採用すれば正社員の雇用が安定する、と論者は言う。
 期間工を雇わなければ、正社員をたくさん雇うことになる。もし不景気になれば、減産に伴ってその正社員を大量「リストラ」*1しなければならない。
 ここまでは理解可能だが、ここからさきが意味不明である。
 非正規社員である期間工は、減産に伴って速やかにその数を減らすことができる。その分、正社員を「リストラ」する必要はないのだ。それはすなわち、期間工の青年が職を失うということを意味するはずである。

 にもかかわらず論者は「これは、期間工に犠牲となれというものではな」いというのだ。そして「一人でも多くの人材が正社員として役割を担ってほしいと望むことでもあ」るという。期間工を雇う分正社員の数は雇わないときに比べて少なくなるというのに?
 なるほど正社員は期間工がクビになれば減産に伴って職を失うこともなかろう。しかし、期間工を雇わなかった*2場合に大量採用されクビになる「正社員」とは誰か?期間工がそこに相当するのではないか?
 この論者の主張はこのように意味不明であるが、人間=「人材」とは「正社員」であり、期間工はヒト以下の存在だと考えれば、なんということはない、すっきりと意味が通る。正社員がクビになるのはかわいそうで、期間工が「契約更新は無し」なのは当然なのである。確かに「人間」は平等である。

http://www.mammo.tv/interview/archives/no251.html

 いつの時代もエリート層は選民意識をもっていたろうし、彼らのインナーサークルでは、それこそが一般的な考えだった。ただ、最低限の嗜みとして、人としてあまり乱暴なことはいわなかった。

 たとえば、大学卒業後、私は日本工業新聞に入り、鉄鋼業界を担当する記者になりましたが、業界に特化した新聞のため、ふつうの新聞社ならそれなりの実績がないと会えない新日鉄や日本鋼管の社長に取材することができました。
 彼らは強烈なエリート意識の持ち主でしたが、対極に学力が低いとか勉強する気が人がいたとしても、それは当人だけのせいではなく、社会階層や家庭環境の要因もある。そういうことを知っていました。
 私は若造だったから、何よりもまず彼らのエリート意識に反発を感じたのですが、教えられること少なくなかった。とにかくエリートは鼻持ちならない奴だと一方的に決めつけられない要素をもっていました。
 けれど、教育改革を進める人たちには、自分たちと違った環境で生きている人への頓着がいっさいなかった。強い立場の人があまり威張ってはいけないなど、子どもでもわかる話なのにね。

WordPressプラグインWordPress.com Statsを導入 / TopHatenarブログパーツを追加

 アクセス解析プラグインWordPress.com Statsここを参考に導入。
 また、TopHatenarのブログパーツを追加。

 ついでに、WPテーマの配色を少し変更。

外でジョギングを再開

 今まで五年弱、フィットネスクラブに月会費を払って通っていた関係で、屋外で運動をすることがなくなっていた。最近、フィットネスクラブの会員種別を変えて、一回利用する毎に料金を払うことにしたので、久しぶりに屋外でのジョギングを再開した。
 で、屋外でのジョギングは大抵週末になる。私は週末は近所のスーパーに飲食物の買い出しに出ているので、外をジョギングしてその帰り道にスーパーに寄って帰宅する、というスタイルを採ることにした。一回の外出でジョギングと買い物の両方をすませようというものぐさ的発想。
 それを実現するために、ヒップバッグを購入し、そこに財布と家の鍵と買い物用マイバッグ(近所のスーパーではレジ袋にカネを取るようになったので)を入れて、更にGPSロガーも入れてランニングをしている。
 それに加えてハートレイトモニターをつけてシューズにはフットポッドをつけている。ジョギングをするのに随分大げさなことになってしまった。

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横浜市営地下鉄「スマイルマナー向上員」導入とその後の評価について

 2008年1月に、横浜市営地下鉄が「スマイルマナー向上員」を導入することを発表。読売新聞に記事が載っていた。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080204-OYT1T00374.htm (リンク切れ)

 「席譲って」横浜市営地下鉄、マナー向上員導入へ

 市営地下鉄に全国で唯一、全席優先席を導入している横浜市は、3月に開業する市営地下鉄の新線の車内で、高齢者などに席を譲るよう乗客に声を掛ける「スマイルマナー向上員」を乗車させる。
 全席優先席がステッカーや車内放送だけでは、なかなか浸透しないためだ。向上員が声を掛けることで、席の譲り合いを増やしたいという。
 新線は、日吉(港北区)―中山(緑区)駅間を結ぶ「グリーンライン」で、3月30日に開業する。向上員は平日の午後2~5時、2人1組で3チームが活動。車両内を行き来しながら立っている高齢者や妊婦らがいると、「どなたか譲ってもらえませんか」と座っている乗客に呼びかける。トラブルにならないよう、各チームには警備員も付く。
 向上員は、市営地下鉄を利用している18歳以上からアルバイトとして募集し、作文や面接で約20人を選び、3時間の活動で1500円支払う。
 市交通局は「ステッカーや放送だけでは、いつも利用している人は全席優先席を意識しなくなってしまう。譲り合いは強制ではないが、声掛けによってマナーを浸透させたい」と期待する。
 ただ、利用者の向上員導入への受け止め方は様々だ。旭区の主婦(56)は「譲ってあげたくても恥ずかしくて言い出せない場合が多く、声を掛けてもらえれば、背中を押してもらえる」と歓迎する。一方、中区の高校1年の女子生徒(15)は「譲るよう言われたら周りに恥ずかしい」と嫌がり、泉区の男性(81)は「席の譲り合いは本来自発的なものなのに、不自然」と首をかしげる。
 加藤諦三・早稲田大教授(心理学)は「高齢者や妊婦に席を譲るのは当たり前のこと。(向上員導入は)当たり前のことを直接声を掛けて実行させなければならないところまで、日本の社会が心理的に崩壊していることを象徴している」と嘆く。
 全席優先席は、関西の阪急電鉄が1999年に全国で初めて導入したが、浸透せずに昨年10月、廃止した。横浜市は2003年から取り組んでいる。
(2008年2月4日14時39分 読売新聞)

 この取り組みを思いついた人、それにゴーサインを出した人ってどんな人なのかとても興味がある。おそらく本気なんだろうから。
 とても善意な人なんだろうなあと思う。そして「スマイルマナー向上員」にも善意に溢れた人が応募して善意に満ちた活動をしてくれるんだろう。
 まあ、こういう危険の伴う面倒くさい仕事は安いバイト(時給500円)にやらせるってのは合理的だよね。善意(しかも気持ちの悪い)の搾取。

加藤諦三・早稲田大教授(心理学)は「高齢者や妊婦に席を譲るのは当たり前のこと。(向上員導入は)当たり前のことを直接声を掛けて実行させなければならないところまで、日本の社会が心理的に崩壊していることを象徴している」と嘆く。

 この取り組みはおそらく「権利意識ばかりが肥大したモラルや思いやりに欠けた自己中心的な人(「三丁目の夕日」の時代にはこんな自分勝手な人はいなかった!)」のせいで上手くいかず、この取り組みを思いついた人や善意に溢れたスマイルマナー向上員は上記のような捨て台詞を吐くことになると思うけど、その次はどうなるのかな。条例で「高齢者や妊婦に席を譲らない人からは過料を徴収」あたりかな。あるいは次もまた、勘違いした斜め上の取り組みを思いつくのかもしれない。
 そういえば横浜市西区がやったタマちゃん(アザラシ)の住民登録って今はどうなったんだろう。

 そして、横浜市交通局の公式アナウンスがこれ。
http://www.city.yokohama.lg.jp/koutuu/kigyo/newstopics/2007/tsmile.html

モラルやマナー意識が低下している現代社会において、『人』と『人』の温かなコミュニケーションを活かした取組として『スマイルマナー向上員』を組織し、お客様への直接の働きかけによるマナーの啓発活動を実施し、全席優先席制度の理解浸透・定着を目指します。

 この取り組みを思いついた人やOKサインを出した人がどういう人なのかが透けて見える文面だ。スマイルマナー向上員の待遇や活動時間を見ると、時間的経済的に余裕のある意識の高い(笑)人が集まるんじゃないかと思う。
 数年前には「ほっとけない」と連呼してホワイトバンドを着け、オーガニック食品と称するものを消費してちきゅうにやさしい気分に浸り、今は当然ホワイトバンドなんて忘却の彼方だけど最近LOHASに凝ってデザインが古いだけのデジカメを買ったりヴィトンのバッグを「長く使えてちきゅうにやさしい」と嬉々として買っているソトコト読者あたりが集まったら面白いな。
 上記サイトにスマイルマナー向上員の募集チラシのPDFファイルがあって、そこに「車内のスマイルを増やしたい!」とある。
 なるほど、この取り組みを思いついて「これで人と人との温かなコミュニケーションが!古き良き社会のマナーの復活が!」なんて本気で思っている人とその賛同者のスマイルを増やしたいのだな。それが本当にスマイルな状態であるのかは知らないが。

 席を譲ることに関しては、こういう↓発想で取り組みを考えた方がいいと思うんだけどね。
http://d.hatena.ne.jp/strange/20071021#p2

「席を譲って欲しいといわれたらこころよく席を譲る」というマナーにすればいいと思うんだ。こっちの方が時代に合っているような気がするよ。コミュニケーションなしで阿吽の呼吸だけで他人とものごとを進めるというのは、社会が一律だと信じられていたときしか通用しないんだよねえ。
 こっちが何か困っているときに助けてもらえるというのはすごくありがたいことだし、そういう社会になるのはすごくいいことだと思う。でもこっちから何も言ってないのに勝手に助け舟を出してくる人というのは信用しがたい。
 逆に困っているので助けてくれといわずに雰囲気だけで困っているアピールをするという人はすごく感じが悪い。何かしてほしいことがあるのにそのことをいわずに「xxしてくれない!」とか怒っているような人を見るとバカじゃないかと思う。
 それこそ困っているので助けてくれというとか、そういうコミュニケーションをちゃんとすべきじゃないのかなあ。

 …というのが、スマイルマナー向上員のアナウンスを知ったときに私が思ったこと。そして、この取り組みに関しては上記公式アナウンスにもあるけど「半年経過時点で事業効果を検証しその後の事業展開方針を検討します」となっている。例えば、平成20年度末に活動に関しての評価を行っていて(リンク先PDF注意)、そこには「取組内容」として

スマイルマナー向上員
全席優先席の理解浸透を図るため、スマイルマナー向上員によりマナー啓
発活動を行い、3ヶ月毎に浸透度アンケート調査を実施し、評価していきます。
【高速鉄道本部営業課】

とあり、それに対する「年度末の達成状況・課題」として

当初計画では、半年間であった活動を20年度末まで延長して実施しました。事業開始3か月後(20年7月)に行った交通局Webモニターへのアンケート結果(スマイルマナー向上員の認知度が46%、期待度が33%)や向上員の活動報告などを勘案すると、活動の認知度も上がり一定の成果が出ています。このため、21年度はブルーラインにも活動を拡大し、実施することとしました。
【評価C】

とある。「評価C」というのは、「目標どおりの成果があがった」という評価であるとのこと。
 また、「(20年7月)に行った交通局Webモニターへのアンケート結果」というのはおそらくここ『第1回 「地下鉄 車内マナー」について』(リンク先PDF注意)だと思われる。
 そして、「21年度はブルーラインにも活動を拡大し、実施することとしました」というのはおそらくこれ

 実際のところ、横浜市営地下鉄利用者にどう評価されているのかはわからないけど、継続して活動は続けるらしい。

 ところで、スマイルマナー向上員の活動時間帯って「14:00~17:00、平日のみ」とか「平日の日中2時間半程度」ってあるんだけど、この時間帯の乗車率というか席の空き具合ってどの程度なんだろ?ってのが気になった。スマイルマナー向上員の取組が失敗しにくい時間帯設定だなとは思うけど(夜の時間帯に設定しても向上員の通勤的に大変なんだろうが)。

「あなたの家族や友達がどう思うか」

 去年出たポスターの話題なんだけど、このキャンペーン自体は最近も見かけたのでまだまだ続くのかな。

暴力行為防止ポスターを 7月15日(火)から各駅構内、電車内で掲出します!(平成20年)」

暴力行為防止ポスター(平成20年7月・車内吊り)

 暴力行為を防止するために「あなたの暴力行為を家族や友達が見たらどう思うか」という呼びかけをする、っていう発想がステキだなと思う。こういう抑制方法が有効な人は未だに多いし、こういう発想を素朴に当たり前のものとして受け入れている人、本気の善意でこういう呼びかけを真顔でする個性的な人も多いので、まあ民度というか知能に合ったポスターだなと思う。

 一方、こういう発想は人を抑圧するという面もあるし、家族や友人がいない人、「家族や友人」という足枷が通じない人もいる。こういう方便は今後ますます効かなくなってくる(こういう方便のバカバカしさに気づく人は今後ますます増えてくる)と思うので、暴力防止を呼びかける人・人間社会に暮らす人はいつまでも上記ポスターみたいな方便をバカのひとつおぼえみたいに叫ぶのでなく、人間や社会の変化にちゃんと対応していかないと今後は辛いと思うよ。

 というかさ、この暴力行為防止の呼びかけって「暴力をふるわれた人」の存在が見事なまでにすっぽり抜け落ちているのが面白カッコイイ。そういうのっておかしいなとか思わないんだろうか。やっぱり世の中には個性に溢れた変わった人が多い(少なくともポスターを作る側が「個性に溢れた変わった人が多い」と見込んでいる)んだなあ。

 日本で継続的に行われてきた個性に溢れた教育の成果、それに加えて「俺が誰かを殴るのはそれなりの正当性があるんだ!」みたいな無意識の何かがあるからこういう面白い呼びかけポスターができあがるんだろうな。

 で、このポスターを見たときに思い出したのが下のエントリ。ニッポンの教育は継続して成果をあげ続けているのだなあと感心する。

http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20050626#p2

 話が横道に逸れるが「みんなに迷惑をかけない」問題と関連して、ずっと以前から心の片隅に引っかかっている証言がある。
 数年前、少年院の教官をしていた年長の知人に聞いた話では、近年の不良(ヤンキー系ではなくチーマー系だろう)は、傷害事件など起こしても、意外にあっさり反省するという。
 ただ、そこで、なぜか被害者への謝罪の言葉は出ず、決まって「お父さんやお母さんに迷惑をかけて申し訳ない」と言うのだという。

 どうよ?

 罪というのは、本来、加害者と被害者の一対一の関係で決まるべきはずだ。
 ところが、「被害者」に対してではなく、自分の側の「みんな」に対してどうであるか、それが罪になるかの基準というわけだ。
 本末転倒と言うよりないだろう。

 これはもう教育の成果だね。日本社会で継続して行われている教育の成果。確かに本末転倒だと俺も思うけど、それでいいと思っている素朴な善意の人が多いんだから仕方ないよね。

 未成年による殺人事件が起きるたびに「誰かに対して殺意を抱いたとしてもご両親や今までお世話になった人たちのことを考えれば『あの人たちに迷惑をかけることはできない』と思いとどまれる筈だ」なんて得意気に言っていた人たちからみればまさに完璧な「教育の成果」だよ。日本の教育は崩壊してる?何を言っているの?日本で行われている教育は立派に成果をあげていますよ。もっと自信を持とうよ!

※2009/5/10追記:
 下記のエントリをたまたま目にした。

http://fragments.g.hatena.ne.jp/nisemono_san/20070131/1170253367

つまり、「迷惑をかけてはいけません」ということであり、『ECDIARY』風に言えば「迷惑をかけている人を血眼になって探して叩こうとする世界」でもあるわけだ。つまり自分が暴力を振るう正当性を探しまわる。しかし、何処まで言っても暴力に対する正当性は埋められないわけで

 日本社会は「迷惑をかけている人を血眼になって探して叩こうとする世界」であり、同時に「家族や友達が見たらどう思うか」と称して叩く行為を抑えようとする倒錯した社会なのだ、という解釈もできるな。
 あるいは、暴力行為をする人を「迷惑をかけている人」と認定して、そういう人を「血眼になって探して叩」く社会か。

デジタル名刺ツールPokenを購入した

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 Pokenなるものがちょっと話題になっているらしいと知って、なんか面白そうだなと思ってアマゾン見てみたらたまたまその時は在庫があったので購入してみた。
 自分の名前やメールアドレスやSNSのアカウント情報をやりとりできるハードウェアらしい。データの管理はサーバ上で行う。
 とりあえず購入して、自分の情報設定はしてみたけど、なにぶん情報交換するユーザが近くにいないので、まあ気長に待つことにしよう。
 モードやアイデンティティの切り替え機能に関する情報: http://d.hatena.ne.jp/rsyudou/20090410/p1

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梅田望夫「ウェブ時代をゆく」を読んで気になったこと

 世界がこれからどんどん変わっていく。で、そんな世界でどう生きようか?ということを考えるための本である。なかなか読ませる本だったし、我が身を振り返っても、色々と考えるヒントをくれるいい本だと思った。

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書) ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)
梅田 望夫

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 今回は、この本を読んで気になったことを書く。
 まず、この本はどんな人に向けて書かれた本か。

世界が豊かになりモノが溢れ、先進国の「中の下」あるいは「下の上」よりも上の生活から「生存の危機」が現実的に消えた。

 つまり、「生存の危機」が現実的に消えている人、あるいは当面は「生存の危機」が無い人向けの本なのである。この本を読むときはそれを認識しておいたほうがいい。「生存の危機」に脅えなくて済む生活ができればいいな。
 さて、梅田氏は現在の日本社会の中枢にいる人が「想像力を欠いている」と指摘している。

「大組織を離れる」イコール「路頭に迷う」「人生のレールを外れる」みたいな極端な表現をカジュアルに口にし、それがあたかも真実であるかのような錯覚を人々に与える。じっさい彼らの大半は「目の前にあるすべきことに情熱を注ぐこと」ができた人であり、そうでない人への想像力を欠いているのだ。「好きを貫いて生きていけるほど、世の中、甘いもんじゃない」という大人の言葉は、日本社会の中枢にいる人々の傾向と表裏一体をなすものである。

と述べている。ところが、梅田氏自身が別の部分での「想像力を欠いている」のだ。

「自助の精神」について語ると、それだけで日本では強い反発がある。「強者の論理」でいけないと言う人がいるのである。

社会をどうこうとか考える前に、現実問題として個がしたたかに生きのびられなければ何も始まらないのではないか

 「自助の精神」ではどうにもならない人が増え、目につくようになってきた。日々の糧を確保するのが精一杯で消耗しきってしまい、そしてそこからなかなか這い上がれず、社会の構造的にスキルアップできる機会すら与えられず、『今、職がないからと言って、糊口を凌ぐレベルの「仕事もどき」をしても、職も住居もない人にとっては、なんのスキルアップにもなりません』と言うと「スキルアップまで望んでるのか。図々しいなぁ」と言われ(「スキルアップでキャリアアップ」という考え方が「望ましいもの」として推奨される一方で、ある種の人が同じことを言うと「図々しい」扱いされるという現象はとても興味深い)つつ、スキルがないから這い上がれないことについては全て自分の責任にされてしまう人たちだ。そしてそういう人は今後もどんどん増え続ける。そういう人間を増やす構造になっているし。つまり、「現実問題として個がしたたかに生きのび」るためには「社会をどうこう」しないとどうにもならない人たちがこれからどんどん増えていく。
 ただ、梅田氏にとってはそんなことは与り知らぬことなのだろう。だって梅田氏は「生存の危機」が現実的に消えている人向けに本を書いて商売しているのだから。
 また、「自助の精神」に対する反発についてだが、これは別に梅田氏の意見や生き方そのものが反発を受けているわけではないと思う。ただ、梅田氏の意見は、例えば経団連のお偉方とか人を使い捨てにして大儲けしている人材派遣会社の社長とか、「国は俺にとって都合のいい人材を教育して俺のところに供給するのが当然だ」とビジネス誌で喚く居酒屋チェーンの社長を名乗るキチガイとか、そういう連中にとって恣意的に利用し易いのだ。というかもしも自分がそっちの立場だったら、梅田氏の言う「自助の精神」を徹底的に利用するだろう。
 時代は確かに変わっている。「知の高速道路」を利用して「好きを貫く」という生き方がかなり多くの人にとって可能になってきた。だがもう一方では「自助の精神」以前の問題として「生存の危機」にさらされる人も増えている。そこまで踏まえた上での「新時代の生き方」をどうするか、を考え体系づける言説が出てきてもいい(というか既にあるんだろう)。自分はそこに興味がある。
 梅田氏はそういうことには興味を持たないだろうし、優先順位を割り振ることも自身のリソースをつぎ込むこともないだろうなと思う。もちろん自分のリソースをどうつぎ込むかは本人が決めることなので、そのこと自体が良いとか悪いとかそういうことではない。
 あと、これは読む側の話だけど、この本に出てくる「オプティミズム」と思慮の無さをごっちゃにしているのが目について、なんなんだろうなと思う。この本を自分の都合のいいように解釈して「自分はオプティミストだから正しく、自分を批判する奴はオプティミストじゃないから間違っている」って本気で思いこんで(しかもそのことに対する自覚もない)他人を見下すような連中を見かけると本気で悲しくなる。

※2009/5/7追記:
 というかさ、「好きを貫いて生きる」ことだって甘くないんだよ。この本を読んだ人ならわかると思うけど。
 あと、上の方でこの本は『「生存の危機」が現実的に消えている人、あるいは当面は「生存の危機」が無い人向けの本』と書いたけど、もう一つある。梅田氏がこの本の中で「ウェブ進化論」の感想を下記のように紹介していた。

リアル社会の職業だけからは「大衆」層に分類されてしまうかもしれないし「エリート」になりたいわけではないが、自分の存在を知らしめたいという欲望がある。

「エリート」集団に属することはできなかったが、「大衆」の中に埋没するのも違和感がある。

 この本は、こういう人向けの本でもある。定石だが、なかなかいいところにターゲットを絞ったな、と思う。「エリート集団に属することはできなかった」人の「自分の存在を知らしめたいという欲望」に上手く入り込んでいる。

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SEG CLIP GV-SC400の録画データをPSPにエクスポートする時の注意事項

※本エントリの内容が正しいかどうかはわかりません。「自分の場合はこうだった」という個人的なメモです。ご参考にされる際はご注意を。
 USBワンセグチューナー「SEG CLIP GV-SC400」でTV番組を録画したデータは、回数制限付きでPSPにエクスポートすることができる。
 私は元々PSPに付属していた1GBのメモリースティックPRO Duoを使っていたんだけど、容量が不足するので、SanDisk製の8GBメモリースティックPRO Duoを購入した。元のメモリースティックには今までのゲームのセーブデータが入っているので、それを新しいメモリースティックにコピーする必要がある。その上で、録画データを必要に応じてエクスポートして使いたい。
 で、ここでセーブデータ等をコピーする時の注意事項。下記のようにすると、録画データをエクスポートできなくなる。

  1. 元のメモリースティックをPSPに挿した状態で、USBモードでPSPをPCに接続する。
  2. PSPがドライブとして認識される(ここではLドライブとする)ので、Lドライブの内容を丸ごとPCにコピー。
  3. PCとPSPの接続を外して、メモリースティックを新しいものに挿し替えてPSP本体でフォーマット。そしてもう一度USBモードでPCとPSPを接続
  4. PCにコピーしておいた内容の全てを、PSPのドライブ(Lドライブ)に丸ごとコピーする。ゲームのセーブデータはこれで新しいメモリースティックにコピー完了。
  5. その後、GV-SC400の録画データをPSPにエクスポートしようとしても、何故かできない。

 おそらく、Lドライブの内容を丸ごとコピーしたことが良くなかったんだと思う。なので、新しいメモリースティックにコピーするときは、セーブデータのみをコピーするようにする。Lドライブを開くと「PSP」というフォルダがあって、その下にセーブデータが格納されているフォルダがあるので、そのフォルダ以下のデータのみをコピーするようにする。
 その後、GV-SC400の録画データをエクスポートしてみたら、正常にエクスポートができた。

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受験戦争で子供は周りの子を蹴落とす?

 学歴社会とそれによって引き起こされる受験戦争で、子供は周りの子を蹴落とすように教えられて実際そういうことをしている、っていう言説を自分が学校に行っているころはよく聞いたんだけど、あれってホントなの?というかそんなことしても意味ないよね?ってことを昔思ったし未だに疑問に思っている。
 受験戦争の終着点ってのは大学入試で、そこで学歴(学校歴)が得られるかどうかの大勢が決まる、ってのが、世間で言われていた「受験戦争」だと理解しているんだけど、その状況において「周りの子を蹴落とす」と自分が大学入試に受かる確率が上がるの?それより他にやることがあるというか、それ殆ど意味ないよね?
 「周りの子を蹴落とす」っていうけど、その「周りの子」が自分と同じ大学同じ学部(というか入試における募集単位)を受験するって前提がないとそもそも蹴落とす意味がないよね?誰かを蹴落としたってそいつが自分と違うところ受験するんだったら自分の受験の結果に何の影響も与えないじゃん。
 仮に同じところを受験する人が周りにいたとしても、入試会場にはそれよりはるかに多い人間が全国から集まるんだぜ?しかも自分と同じところを受験するヤツがどこの誰かなんて事前にわかんないでしょ?そんな状況で「周りの子」を蹴落としたってあまり意味ないよね?それとも「周りの子」ってのは当日試験会場に集まった連中のことを指すのか?だとしても、当日何かすれば周りのヤツら蹴落とせるの?というか何するの?試験会場にトラップ仕掛けるの?手当たり次第にぶん殴って病院送り?その場で糞尿垂れ流して嫌がらせ?
 つーかさ、そもそも自分が合格ラインの点数取れなければ受からないよね?周りを蹴落としたって自分が受からなかったら意味ないじゃん。それとも俺が知らないだけで、誰かを蹴落とすとそれが入試の点数に加算される制度とかあったの?

 なんてことを思ったんだけど、結局はいじめの口実として「受験戦争」という言葉というか概念が使われてたという話なんじゃないの?って気がする。