教員って割が合わない仕事だと思う。特に最近は世間の風当たりはきついし、仕事内容と給料がつりあってないし。ただ一方で、仕事をしなくても教員としての責任感がなくても、下手すれば人としての良心が欠けていても給料がもらえるのよね。公務員だから食いっぱぐれないとか、休みが多そうだとか(実際はそうでもないらしいが)、そんな役所の役人になる感覚で教員めざす奴は教員にならないほうがいいと思うよ。世の中他にも仕事はいっぱいあるんだし。あと万事ことなかれ主義な奴もね。第一子供が気の毒だ。それにそういう奴のおかげで教員に対するいろんな偏見も生まれてるんだから。
サエとネンジ
横浜、名古屋、福岡で平成9年1月28日より「発信電話番号アナウンスサービス」が開始された。このことでまず最初に思ったこと「これ絶対悪用されるぜ。」
そもそも、このサービスの実施(試験的ではあるが)の理由は、いたずら電話の多発、電話をかける側のマナーの低下等が原因だという。言い替えれば、いた電をする奴等、電話のマナーを一切無視した悪質電話勧誘業者(死ね!!お前ら。)が原因なのである。こういうやつらの多発により生まれたシステムなのであるが、このシステムは前述のクズどもにいいように利用され得る危険性をはらんでいるのだ。
いたずら電話の防止なら、すでにそういうサービスが有るという話も聞くし、それで十分なのでは、とも思うのだが、、、、。
パワーマン奇文書
チャンバラ壁新聞編集部は世界最高峰デュアスロン96パワーマンゾーフィンゲンオフィシャルツアーのパンフレット内に奇妙な文書を発見した。以下にその内容を原文のまま示す。
1989:第一回デュアスロンZOFINGENマラソンと自転車競技は、ドイツ、スイスそして周辺国から集まった403名の競技者が3000名の見学者の見守られる中で行われた。
1990:大会は616名の競技者に増え、ディブ スコット(アイアンマン3年連続チャンピオン)がレース運営を指導し、トム クーニーが競技全体を管理することでレース自体の格が上がり世界各国からデュワスリートのケニー・スーザー(カリフォルニア)は一躍、世界的に有名なアスリートとなった。この年のギャラエリーは約9000名。
1991:5万ドルの賞金と世界一強いという称号を求め多くのアスリートがこのレースに参加しに世界中からきた。アイアンマントライアスロンの有名な選手、スコット・モリーナ、スコット・ティンリー、マイク・ピッグ、ポーラー・ニューディーフレザー、そしてエリン・ベーカー、のエリートのトライアスリートや、デュアスリートにより行なわれ、この年のレースは白熱し興奮を呼び、このレースが、もはや田舎のデュアスロンのレースで無いことを12000名の観客はしることになった。この試合の模様をユーロスポーツは放映し、全世界のスポーツ界はこのスイスの田舎町ZOFINGENを注目し始めた。
1992:大会名はパワーマンを変わり23カ国から864名の競技者で争われた。マーク アレン の参加により1992年のデュアスロン中最もレベルの高いレースとなった。12万ドルの賞金額は、ハワイ アイアンマンの次に位置し新しくなったスタジアムには40000人もの観客が押し寄せこのレースの模様は世界130カ国に5つの異なった言葉で放映された。
1993:パワーマンは世界最高の賞金額と世界最強を決定するレースとしての位置づけを明確にした。オーストラリアからアフリカのジンバブエまでの25カ国から550名の競技者がZAOFINGENを訪れレースに参加し、その模様は世界100社以上ものテレビ局により放映され、アメリカの主要なケーブルテレビネットワーク、カナダのTSNヨーロッパのユーロスポーツに放映され、新しいスポーツの幕開けとして1994年度世界12カ国においてZOFINGENの予選レースが開催され、1995年度のジャパンはアジアの予餞会として1994年大分県・国東にて開催。日本人選手300名が参加。
1996年レースへのクオリティーファイレースは、95/96年のパワーマンシリーズとして、世界11カ国12カ所で開催されており、日本では12月17日(日)にパワーマン第9戦として東京都立川市昭和記念公園にて行われました。
(抜粋は以上)
一見したところ奇妙な文書には見えないかもしれないが、ところどころの文法、文字使いのおかしさからして、日本人が書いた文書ではないと見られる。レースの観戦者の表現が「3000名の見学者」、「ギャラエリー(ギャラリー)は約9000名」、「12000名の観客」と、人数が増えていくにつれ変わっていくのは何とも奇妙だ。執筆者の何か特別な意図でもあるのだろうか。
紙と鉛筆
私がもの心ついた昔から、コンピューター社会になると紙や鉛筆は無くなると言われてきた。いずれはそうなるだろうが、近い未来においてそれが起こるとは思えない。
例えば、私たちの世代はコンピュータと無縁な幼少期を過ごした人間が殆んど全員である。紙の上に鉛筆やクレヨンで文字や絵を書いていた人が大部分であろう。そういう人間にとってコンピュータは清書のため、仕事や遊びのための道具である。私自身も文章は一度紙の上に書いたものをもう一度キーボードで打ち込むことが多い。紙と鉛筆無しで直接キーボード上で直接ものを考えるのは世代的にも無理なのかもしれない。もちろん、そうでない人もいるし、私自身も鍛錬を積むことによりキーボードのみで文章の作成、推敲ができるようにはなるだろうが、紙と鉛筆から完全に脱却できるかどうかは疑問である。