GREEN NERVE vol.29 / ENDING ERROR

 GREEN NERVEの会員継続手続きをした。会費4200円。そしてGREEN NERVE Vol.29は変弦自在全曲解説など。

変弦自在 変弦自在
平沢進

テスラカイト 2010-11-10
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 そして同時期に1995年のP-MODELライブDVD「ENDING ERROR」を購入。初めて観る映像。

キーボード・マガジン 2010年10月号 AUTUMNのP-MODEL記事

キーボード・マガジン 2010年10月号 AUTUMN

キーボード・マガジン 2010年10月号 AUTUMN

9月10日発売

アーティスト列伝~P-MODEL
キーボード・プレイヤーにスポットを当て、
アルバムごとに異なるスタイルを見せるP-MODELサウンドの変遷史。
モノクロ14ページ掲載。
http://www.rittor-music.co.jp/hp/km/

 P-MODEL特集目当てで買った。ことぶき光インタビューで、当時のライブでは同期信号を手で発信していたとか、ファイル復活ツールのバグ(?)を利用してサウンド・ファイルを作っていたとか、知らなかった話が書いてあって面白かった。

 私が初めて買ったP-MODELのCDは「big body」です。

Keyboard magazine (キーボード マガジン) 2010年 10月号 AUTUMN (CD付き)[雑誌] Keyboard magazine (キーボード マガジン) 2010年 10月号 AUTUMN (CD付き)[雑誌]
キーボード・マガジン編集部

リットーミュージック 2010-09-10
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ゴールデン☆ベスト P-MODEL「P-MODEL」&「big body」 ゴールデン☆ベスト P-MODEL「P-MODEL」&「big body」
P-MODEL

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5/23開催の文学フリマにサークル「奇刊クリルタイ」の新刊が出るそうです

 明日開催のイベントです。私は遊びに行けませんが、ご興味のあるかたは是非。

「第十回文学フリマ」 5月23日(日)開催!

「第十回文学フリマ」
開催日 2010年 5月23日(日)
時間 開場11:00~終了16:00
会場 大田区産業プラザPiO →会場アクセス
(京浜急行本線 京急蒲田駅 徒歩 3分、JR京浜東北線 蒲田駅 徒歩13分)

「奇刊クリルタイ増刊 『dorj』」頒布のお知らせ

【第10回文学フリマ詳細】
ブース名:L-20『奇刊クリルタイ』
開催日:2010年5月23日
時間:開場11:00~終了16:00
会場:大田区産業プラザPiO →会場アクセス
(京浜急行本線 京急蒲田駅 徒歩 3分、JR京浜東北線 蒲田駅 徒歩13分)

【奇刊クリルタイ増刊『dorj』・概要】
サイズ:B5、100ページ
価格:一部1,000円(予定)

【奇刊クリルタイ増刊『dorj』・詳細】
特集「all about 中二病」

所持している書籍を初めて売った

 本、CD類は今まで売ったことがなかったんだけど、荷物が増えすぎたこともあり、先日はじめて古本屋に本を売り払った。
 高く売りたい!ということならば、手間と時間をかけてオークションなりアマゾンへ出品とかが考えられる(興味のある人は「せどり amazon」などのキーワードで検索をかけてみてほしい)のだけど、その辺の手間もかけられないので、手っ取り早く古本屋へ引き渡すことにした。

古本・中古本の買取価格比較

 処分する本はそこそこの分量があるので、自分で古本屋に持ち込むことはできない。さてどうしようかと思っていたが、そんな時たまたま上記の記事を見かけて、livedoorリサイクルを利用することに。買取価格云々というよりは、買取明細が出るというところに惹かれたので使ってみた。
 ウェブで申込みをして、運送業者が引き取りにきて(こちらの送料負担は無し)、買取査定が行われて、銀行口座に振り込み。この一連の流れが一週間もかからずに完了。
 また、どの本をいくらで買い取ったかの明細が提示される。ただ、買取不可のものについてはタイトルの情報が出ないので、気になる場合は事前に自分で何を送ったかを把握しておく必要がある。買取不可のものについては、向こうに処分してもらう(無料)か、こちらに返送してもらう(送料はこちらで負担)かを選択する。

 自分の中では、こういう形で本を処分するというのは最終手段なのだけれど、捨てるくらいならこういう形で処分するのもアリかな、捨てるのと手間は大して変わらずに小銭が手に入るし、とも思った。

 知人に売るなりあげるなり、冒頭に挙げたように手間暇をかけてもっと高値で売る手法を採ることができればそれが一番いいんだけど。

梅田望夫「ウェブ時代をゆく」を読んで気になったこと

 世界がこれからどんどん変わっていく。で、そんな世界でどう生きようか?ということを考えるための本である。なかなか読ませる本だったし、我が身を振り返っても、色々と考えるヒントをくれるいい本だと思った。

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書) ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)
梅田 望夫

筑摩書房 2007-11-06
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 今回は、この本を読んで気になったことを書く。
 まず、この本はどんな人に向けて書かれた本か。

世界が豊かになりモノが溢れ、先進国の「中の下」あるいは「下の上」よりも上の生活から「生存の危機」が現実的に消えた。

 つまり、「生存の危機」が現実的に消えている人、あるいは当面は「生存の危機」が無い人向けの本なのである。この本を読むときはそれを認識しておいたほうがいい。「生存の危機」に脅えなくて済む生活ができればいいな。
 さて、梅田氏は現在の日本社会の中枢にいる人が「想像力を欠いている」と指摘している。

「大組織を離れる」イコール「路頭に迷う」「人生のレールを外れる」みたいな極端な表現をカジュアルに口にし、それがあたかも真実であるかのような錯覚を人々に与える。じっさい彼らの大半は「目の前にあるすべきことに情熱を注ぐこと」ができた人であり、そうでない人への想像力を欠いているのだ。「好きを貫いて生きていけるほど、世の中、甘いもんじゃない」という大人の言葉は、日本社会の中枢にいる人々の傾向と表裏一体をなすものである。

と述べている。ところが、梅田氏自身が別の部分での「想像力を欠いている」のだ。

「自助の精神」について語ると、それだけで日本では強い反発がある。「強者の論理」でいけないと言う人がいるのである。

社会をどうこうとか考える前に、現実問題として個がしたたかに生きのびられなければ何も始まらないのではないか

 「自助の精神」ではどうにもならない人が増え、目につくようになってきた。日々の糧を確保するのが精一杯で消耗しきってしまい、そしてそこからなかなか這い上がれず、社会の構造的にスキルアップできる機会すら与えられず、『今、職がないからと言って、糊口を凌ぐレベルの「仕事もどき」をしても、職も住居もない人にとっては、なんのスキルアップにもなりません』と言うと「スキルアップまで望んでるのか。図々しいなぁ」と言われ(「スキルアップでキャリアアップ」という考え方が「望ましいもの」として推奨される一方で、ある種の人が同じことを言うと「図々しい」扱いされるという現象はとても興味深い)つつ、スキルがないから這い上がれないことについては全て自分の責任にされてしまう人たちだ。そしてそういう人は今後もどんどん増え続ける。そういう人間を増やす構造になっているし。つまり、「現実問題として個がしたたかに生きのび」るためには「社会をどうこう」しないとどうにもならない人たちがこれからどんどん増えていく。
 ただ、梅田氏にとってはそんなことは与り知らぬことなのだろう。だって梅田氏は「生存の危機」が現実的に消えている人向けに本を書いて商売しているのだから。
 また、「自助の精神」に対する反発についてだが、これは別に梅田氏の意見や生き方そのものが反発を受けているわけではないと思う。ただ、梅田氏の意見は、例えば経団連のお偉方とか人を使い捨てにして大儲けしている人材派遣会社の社長とか、「国は俺にとって都合のいい人材を教育して俺のところに供給するのが当然だ」とビジネス誌で喚く居酒屋チェーンの社長を名乗るキチガイとか、そういう連中にとって恣意的に利用し易いのだ。というかもしも自分がそっちの立場だったら、梅田氏の言う「自助の精神」を徹底的に利用するだろう。
 時代は確かに変わっている。「知の高速道路」を利用して「好きを貫く」という生き方がかなり多くの人にとって可能になってきた。だがもう一方では「自助の精神」以前の問題として「生存の危機」にさらされる人も増えている。そこまで踏まえた上での「新時代の生き方」をどうするか、を考え体系づける言説が出てきてもいい(というか既にあるんだろう)。自分はそこに興味がある。
 梅田氏はそういうことには興味を持たないだろうし、優先順位を割り振ることも自身のリソースをつぎ込むこともないだろうなと思う。もちろん自分のリソースをどうつぎ込むかは本人が決めることなので、そのこと自体が良いとか悪いとかそういうことではない。
 あと、これは読む側の話だけど、この本に出てくる「オプティミズム」と思慮の無さをごっちゃにしているのが目について、なんなんだろうなと思う。この本を自分の都合のいいように解釈して「自分はオプティミストだから正しく、自分を批判する奴はオプティミストじゃないから間違っている」って本気で思いこんで(しかもそのことに対する自覚もない)他人を見下すような連中を見かけると本気で悲しくなる。

※2009/5/7追記:
 というかさ、「好きを貫いて生きる」ことだって甘くないんだよ。この本を読んだ人ならわかると思うけど。
 あと、上の方でこの本は『「生存の危機」が現実的に消えている人、あるいは当面は「生存の危機」が無い人向けの本』と書いたけど、もう一つある。梅田氏がこの本の中で「ウェブ進化論」の感想を下記のように紹介していた。

リアル社会の職業だけからは「大衆」層に分類されてしまうかもしれないし「エリート」になりたいわけではないが、自分の存在を知らしめたいという欲望がある。

「エリート」集団に属することはできなかったが、「大衆」の中に埋没するのも違和感がある。

 この本は、こういう人向けの本でもある。定石だが、なかなかいいところにターゲットを絞ったな、と思う。「エリート集団に属することはできなかった」人の「自分の存在を知らしめたいという欲望」に上手く入り込んでいる。

「当たり前」をひっぱたく 「当たり前」をひっぱたく
赤木 智弘

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生きさせろ!難民化する若者たち (ちくま文庫) 生きさせろ!難民化する若者たち (ちくま文庫)
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GREEN NERVE Vol.25 / 点呼する惑星

 GREEN NERVEの会員継続手続きをした。年会費4200円。そしてGREEN NERVE Vol.25は平沢進のニューアルバム「点呼する惑星」の全曲解説&インタビュー。
 インタビューの最後で「ソロ・デビュー20周年おめでとうございます!!」というインタビュアーの言葉への返答がとっても良かった。感動。

 あとは、テスラコイル関係の記事。スタジオに置いてあるとのこと。

点呼する惑星
点呼する惑星 平沢進

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おすすめ平均 star
star濃い透明感漂う作品
star相変わらずの美声
starまさにミラクル・ヴォイス

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学校に行かなくても死なない / 日本での生きにくさ

 学校(高校以前)に行かなくても死なないというのはその通りなんだけど、「学校に行かないようなヤツ」に対する視線というのがあって、例えば何の問題もなく大学の入学試験を通る能力、大学を卒業する能力があって実際そうやっても、「学校に行かないようなヤツ」に対するゲスな目線、あいつが転落したらここぞとばかりに騒いでやる、あいつは登校拒否児だったんだ引きこもりだったんだ、という目線というのはあって、そんなの気になんないよという人もいる一方でそういう目線にどこかでおびえている人もいるかもしれないなあ、なんてことをふと思った。
 これは「学校に行かない」に限らず、他にも色々なケースがある。「あいつはおかしなヤツだった」とかそういうのも含め。

自殺するなら、引きこもれ  問題だらけの学校から身を守る法 (光文社新書) 自殺するなら、引きこもれ 問題だらけの学校から身を守る法 (光文社新書)
本田 透 堀田 純司

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 なんてことを思いつつ、この本を読んだ。この本の中で、サラリーマン養成所のしての学校はもう時代にそぐわなくなっている、だけど人々の学校信仰は未だ根強く残っている、ということが書いてあった。
 まあ、そうだよなと思う。そして同時にメリットがあったりデメリットが特にないなら学校に行かない必要もない、とも書いてあった。結局そこらへんに落ち着くのかなと思う。まあ学校なんて自分のいいように利用すればいいんだし。
 今現在学校に通っている当事者が、こういうことを理解することが大事だとは思うけど、それやられると教員が困るだろうな。自分たちに都合の悪いことを知ってもらっちゃ困るし、平均的な教員の能力じゃそういうことを身につけた子供は手に負えないだろうし。せいぜい同業者内でのグチグチ話に花が咲くだけか(笑)。

 そして関連する話として、渡辺千賀氏のこのエントリ
 日本で生きにくさを感じたときに厄介なのは、地理的な障壁(海)と言語と地域学校家庭等で叩き込まれる日本社会の常識かなあと思う。これらの障壁は日本国内のある種の人にとってはとても都合が良く、人材の流出をそれなりに防ぐことが出来る。その障壁の強度は、日本の学校や日本社会の教育力(笑)にかなり依存している。
 障壁を乗り越えられる人は苦労して、あるいはあっさりと乗り越えてしまう。頭の良さとか行動力とか生命力とか金の力とか育ちの良さとかで。ただまあそれは誰にでもできるわけではない。できるかできないかのボーダーライン上にいる人を日本国内に押しとどめる力は、冒頭で言ったような障壁だ。ボーダーライン上にいる人で、かつ日本で生きにくさを感じている人にとってこの障壁は自分を閉じこめる檻であり、外に出ようとする自分を引き戻そうとする悪魔の手だ。

 話は少しそれて、このエントリで渡辺氏の子供時代について書かれていて、それを読んで思ったことを少々。
 まあ人間は自分の嫌な記憶は忘れるから、子供時代に戻りたいって感情は出てくるだろうね。ちょっと冷静に考えてみるとそれってすげえ嫌なことなんだけどね。自分の好きな人だけがいて自分にとって嫌なこと不快なことクソなシステムが一切無いなら戻ってもいいけど。
 私は偏見に毒されていて、小中学校の教員ってのは無能勘違い落ちこぼれがなる職業だと信じて疑わないという不治の病を患っている。実際に体験した小中学校時代を考えればそりゃ当然だろ、と今でも思っているのでなかなか深刻な病状である。
 私は「どうして教員ってこんなにバカなんだろ?」と思いながら義務教育期間の大半を過ごしたので、年齢を重ねるにつれて教員や学校社会に理解を示し寛容になっていく同郷のかつての問題児や、教員や学校の理不尽さに涙していたかつての同級生今は小学校の教員、なんて話を聞くとなんとも言えない気分になる。
 学校で受けた教育がよく身についたいい子ちゃん、ってこういう人たちのことなんだなあと思う。昔は私が一番いい子ちゃんだったんだと思っていたんだけどなあ。

閉塞感とか生きることとか

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 田舎社会の、あるいは日本社会の閉塞感なんてことが色々なところで語られ、自分もたまに語ったり考えたりする。
 昔は自分の社会が閉塞的であるとか考えていなかったように記憶している。色々と嫌なこと辛いことはあったけど、それを地域社会の閉塞感に結びつけるようなことはなかった。色々なことをよくわかってなかったし余所の地域のことなんて知らなかったし、閉塞的って概念が無かったんだと思う。
 今は、田舎社会の閉塞感がどうだとかそんなことを思うようになっている。それは田舎以外の社会状況等色々なことを知って、ものの見え方が変わったからなのかもしれない。別に閉塞感を知らないままに田舎で十分に生きていけたのかもしれない。

 自分が生きることについても、先のことは何もわかんないし常にうすぼんやりとした不安や希望がある。良くない方向には未来が確定しているように見えてしまい、良い方向に希望を持つことは結構難しい。

 人生を前向きにがんばろう!とかそういう紋切り型の物言いに対しては冷ややかな感情が湧き出てくるし、実際胡散臭いヤツらが他人を食い物にするためにそういう言葉を囁きかけてくるのであるが、そういった紋切り型の物言いってのはそれはそれで立派に存在価値があるんだなあ、ということを思うようになってきた。そう思わなければやってられない、ってのもあるのかもしれないが。

 まあ世の中って色々生きづらい要素はあるし、人生の不安についても尽きることがないよね、ということに対して登場人物たちが悩み苦しみ行動して、生きるってなんなんだろうね、ということに関して登場人物の口から色々なことが語られ、色々とあがき動き回る。ああ「青春小説」だなあ。

経営の未来

 企業を取り巻く状況が急激に変わっているので経営の革新が必要ですよ。下っ端も含めた従業員全体に自由にアイディアを出させてそれを民主主義と市場で絞り込むってのはどう?という内容。いかにもアメリカ人的だなあと思った。民主主義と市場は正しい、という前提。市場や民主主義が正常に機能するには前提条件があるということを読む側は忘れないように。この本とは直接関係ないけどクラウドソーシングについてもそう。
 やたらテンション高く前向きに語っているところ、そして新たな世界は希望がある一方で別の厳しさもある、というあたりが梅田望夫「ウェブ時代をゆく」を彷彿とさせる。そういえば二人ともコンサル屋さんでアメリカの人か。
 「別の厳しさ」(当たり前のことでもあるんだけど)というのは、例えば従業員のアイディアが1000個あったら、その中で検討に値するのは100で投資に値するのは10で儲かるのはあってせいぜい2,3個、でもその2,3個を最初から特定するのは無理、とかそういうの。「群衆の叡智」ってのもそうなんだろうなあ。経営者や従業員が99%以上のゴミに耐えられるのかどうか。ゴミの山から宝をどうやって見つけ出すのか。
 もうひとつ感じた「別の厳しさ」は、従業員の力を効果的に使う実例(有機食品スーパーとかゴアテックスとか)が書かれていて、こりゃ経営的にはいいし楽しい人には楽しいんだろうけど人間の消耗が激しくなるだろうな、と思った。日本で言うとトヨタ的に。人間のアイディアを根こそぎ搾り取っているわけだからね。企業活動ってのはそういうレベルにまで行きつつあるんだなあという感慨。この本にあるような経営革新が進んだら、次はその辺が大きな問題になるんじゃないか。

 最近のこの手の本の常道としてGoogle社の話が出てくるんだけど、あの会社は所謂「Aクラス」の人しか採らないようにしている。最初からAクラスの人だけで物事を進められるような仕組みを構築しているということだ。そうではない会社の人間が「Aクラスだけ集めたらプロジェクトがスムーズに進みました」なんて得意気に言ってもあまり意味がない。大抵の人間は、Aクラスばかりでない他人あるいは自分をどう使って効率よく物事を進めるかという縛りからは逃れられない。
 限られた権限しか持たない人がイノベーションをするための実践例が参考になる。小規模に影響の少ないところから始めて効果を出し、全体に展開していくという実例。

 ここからは本の内容とは直接関係ない話。Aクラスの人しか採らないというあたりの話で頭に浮かんだこと。

 『能力の低い人を集団に入れると全体に悪影響をもたらすという所謂「腐ったミカン」的な考えってのは何なんだろう。一人の腐ったミカンが原因で集団全体が腐るとしたら、それは集団構成員各々の自助努力が足りないというか、結局腐りやすい性質を構成員一人一人が持っているということなんだよね。まさに構成員の自己責任。ポジティブさや人間力が足りない!ってこと。腐ったミカンをきれいにするくらいのポジティブさを持って欲しいね。』

みたいなことを言い出す人をもっと見かけてもいいように思うんだけど案外見かけないのが不思議。

経営の未来 経営の未来
ゲイリー ハメル

日本経済新聞出版社 2008-02-16
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ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書) ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)
梅田 望夫

筑摩書房 2007-11-06
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自己啓発の使い方

 速水健朗 著「自分探しが止まらない」読み終えた。「自分探し」の変遷と、現在の日本における「自分探し」とは何なのかについて述べられていた。ここでは、私がこの本を読んでちょっと気になったこと、自己啓発についての私の考えを書く。

自己啓発書が生み出すのは一時的な高揚感、もしくは癒しのみである。またそれがなくなってしまうと、高揚感や癒しを与えてくれる似たような本や体験を求めて、延々と「自分探し」を繰り返す

この本で繰り返し出てきた表現なのだが、「自己啓発→高揚感を得る→高揚感から冷める→自己啓発(以下繰り返し)」という自己啓発にはまるというサイクルがあるらしい。自己啓発への接し方として、私はこれに違和感を覚えた。

 自己啓発の高揚感はほどなく冷める。自己啓発で得たものの大部分はその時に自分の中から消えてしまう。ただ、僅かに何かが残る場合がある。あるいは自己啓発中を振り返り、あの高揚感はなんだったのか?自分はどうしてあんなに高揚していたんだろう?そこに何かがあったのか単に自己啓発の手法によるものなのか?などなど考える。
 自己啓発で得られるものというのはそういうものだと私は思っている。自己啓発ってのはその熱が冷めてからが大事なんじゃなかったのか?
 自己啓発の類は、一時的にハイになるためのクスリ、あるいはドーピング剤みたいなものだと思っている。常にそれを使い続けていたら心身を壊してしまう。一時的にそれが必要になる局面は確かにある。でも常にそれを摂取してハイでい続ける必要があるのだろうか?というかそんなことしてたらいつか廃人になるぞ?常にハイでい続けられる人ってのがたまにいるけど、お前みたいな凡人に同じ真似ができると本気で思ってるの?
 自己啓発によって何かを得たり何かを学ぶことはある。でもジャンキーのようにそれを摂取し続けるという光景はとてもグロテスクに見える。モンティ・パイソンの「幸福の王国物語」をもっとけちくさく陰湿にした感じ。
 破滅するぞ地獄に落ちるぞ上昇できずに負け組になるぞ低クオリティなみじめな人生が待っているぞ、そう脅され続けてその恐怖から逃れるために自己啓発というクスリを日常的に摂取し続ける。そうでもしないとやってられない世界になりつつあるのか、あるいは既になってしまったのか。そうだとしてそういう世界をおかしいと思わないのか。
 なに?世の中の流れや仕組みはどうせ変えられない?前向きな発想・ポジティブシンキングとはその程度のものか、クスリで無理矢理ラリって安い給料で使い捨てられる程度の「自己実現」しかできないか、人間の力を信じられないこのネガティブ野郎め。

2008/03/14追記:「自分探しが止まらない」書評
http://gijutu.dreamlog.jp/archives/1357451.html

自分探しが止まらない (ソフトバンク新書) 自分探しが止まらない (ソフトバンク新書)
速水 健朗

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空飛ぶモンティ・パイソン ドイツ版 [DVD] 空飛ぶモンティ・パイソン ドイツ版 [DVD]

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