体感治安に対応するのは誰の仕事?

http://twitter.com/fwd_yutaro/status/20701340991

「体感治安」気になったので、主要4紙のDBで90年代以降を見てみると初出は1994年読売で、福岡県警の意識調査にて「体感治安」が使われてる。が、メジャーになってるのは、1996年正月あたりから。井上警視総監のインタビューや国松警察庁長官の話の中に出てくる。オウムの次の年。

 「国家権力が送配電網と家電製品を通じて私を盗聴している!!!!」とか「今すれ違った奴が俺を見て笑った!組織に雇われた監視員に違いない!!!!」とか言っている人の中では、その人にとっての「体感治安」は実際最悪なわけ。だが、それに対応すべきなのは警察ではなくて医者なんじゃないのか。
 素朴な疑問なんだが、「私は全く犯罪に遭っていないけれどなんか最近治安が悪いってテレビや新聞で言っている!怖い!治安は年々悪くなっている!!!!」となると何故警察の管轄になるのだろう。

けいおん!!チロルチョコの包装紙保管方法

 チロルチョコの包装紙は、DECOチョコストラップやDECOチョコマグネットを使ってアクセサリー化することができる。
 去年、ムーミンのチロルチョコを買ったときにDECOチョコマグネットを使い、それがまだ余っていたのでけいおん!!のチロルチョコの包装紙も同じようにしようと思っていたのだが…

リンク:けいおんフェア逃してしまったので『けいおん!!つめてねチロル』買ってきたw

 材料費をケチっているのかわからないが、けいおんチロルはサイズが微妙に小さくなっている。とりあえず一つDECOチョコマグネットに貼ってみたが非常に厳しい。

リンク:パッケージのコレクション方法

 なので、ひとまずはトレカ用のクリアカバーに保管している。

一生経営者になれない「気分だけ経営者」の悲哀

 会社員の世界は正直よく知らないのだが、一時期よく耳にした「経営者視点」ってなんだったのだろう。「経営者」がそれを言うのならわかるんだが、経営者でもない、なるつもりもない人がしたり顔で「経営者視点での業務遂行」を説いていた。滑稽だなと思いながら聞いていたが、その言葉を発している人は大抵真顔なので、自分の発言に何の疑問も持っていないんだろう。

 不思議で仕方ないのが、「経営者視点を説く労働者」(以下「Aさん」とする)の発言に見え隠れするAさんの意識。
 Aさんの話に出てくる「経営者」には、なぜかAさんやAさんの所属部門を「不要な経営資源」として切り捨てる「経営者」は存在しない。口先だけでも「危機感」とか言ってるのはまだマシなほうで、そういう意識すら無いのも結構いる。
 AさんやAさんの所属部門を評価するのはAさんではない。Aさんは経営者じゃないんだから。なのに、自身が「不要な経営資源」として切り捨てられる可能性に関して無頓着だったりする。「頑張る」「スキルを身につける」「経営者視点で会社に利益をもたらす」とは言うが、それはAさんをAさん自身が評価しているだけの話で「経営者」のAさんに対する評価ではない。「経営者」と「Aさん」が一体化しているという前提がないと意味のない話ではなかろうか。もしかしたらAさんの脳内では「経営者と一体化しているハイブロウな俺ちゃん」というファンタジー設定が具現化しているのだろうか。いったいAさんはどのような会社生活を送っているのだろう、色々な意味で気になる。

社会人は経営者の視点がないと生き残れない気がするのですが、どうでしょう?:片岡麻実の「チャレンジド×IT=ユニバーサルデザイン!?」 – CNET Japan

 ここでなかなか興味深いやりとりがあった。どうもコメント欄は既に無くなっている?ようなのだが、自分のメモに残っているやりとりを紹介したい。

> 会社の利益を上げなければお給料を本来もらえないのでは?
 そのひと言では何とも言えません。
 経営者はそれが日常的に利益を上げることが仕事ですが従業員は与えられた仕事を正しくこなすのが仕事。研究開発などもそうですが利益が上がらなくても誰かがやらなければならない仕事など世の中たくさんあります。

極論ですが会社の規模がどうあれ、たった1人の行動や判断のおかしな社員がいればその行動や判断次第で会社が傾くことだってあり得ます。だから「経営者」には質の高い行動と確実な判断が求められます。でも行動のおかしな社員に「あなたも経営者たれ」なんて言ったらどうなるか?

 Aさんの持っている「経営者の視点」が「実際の経営者の視点」とあまりに違いすぎるとまずかろうなと思う。「自分は経営者と一体化している!」という、脳内設定と現実の区分が曖昧になってしまったAさんが「経営者すなわち俺」と「経営者の視点」を振り回すと「会社の利益」を損ねる確率が上がるだろう。しかも、現実と脳内設定の境界があやふやになってしまったAさんはその自覚を持てるだろうか?「経営者の視点を持つ俺が会社の利益を損ねているなんてありえない!」となってしまう可能性は?

 さて、
ワタミ会長「ビルの9階で会議中に、『今すぐここから飛び降りろ!』と平気で言います。」:アルファルファモザイク
はてなブックマーク – ワタミ会長「ビルの9階で会議中に、『今すぐここから飛び降りろ!』と平気で言います。」:アルファルファモザイク

 「罵倒の後優しく」という定番の奴隷製造メソッドと、そうやって仕立て上げた奴隷に経営者の権限や責任や待遇を与えることなく「経営者目線」を要求する、という奴隷活用のテクニックがある。
 権限も責任も待遇も与えないままに「経営者目線」を要求したって、せいぜい「気分だけ経営者」(「名ばかり管理職」みたいなものだと思ってください)になった奴隷が自分の気にくわないヤツを指して「あいつはせいさんせいがひくいからりすとらでちゅーばぶぅー」にしかならないのではなかろうか。
 まあ、渡邉美樹氏のような経営者からしてみればそれでいいし、また、それで満足してしまう「気分だけ経営者」な「経営者視点を説く労働者」も結構たくさんいるのだろうなあ。
 当人が満足なのはいいんだけど、こういった人を抱えている企業や周囲の人は大変だろう。

 そしてまた別のブログで興味深い指摘が。
それは経団連用語の「主体性」を誤解していますね

集団や組織に懐疑の目を向ける唯一者としての主体性ではありません。むしろ、集団や組織と一体化する主体性です。
これは、組織の一員として自分が組織を背負ったつもりで、地位は平社員であっても社長になったつもりで、まさに自分自身を組織の主体と考えて行動できる性質のことです。島耕作的主体性とでも言いましょうか。

企業の言う「主体性」と、大学が受け取る「主体性」のズレ

企業側は「こちらが何も言わなくても、自主的にこちらの意向を汲み取り、自主的にこちらの望む行動をする人材が欲しい」という意味で「主体性のある学生が欲しい」と言っている

 「気分だけ経営者」な「経営者視点を説く労働者」とは「企業の求める主体性」の持ち主である、と言うこともできそうだ。もちろん「Aさんが脳内で思い描く自画像」と「経営者が実際に求める人物像」のミスマッチはあるのだが。
 一昔前のドラマにありそうな「俺は会社のために身を粉にして頑張ってきたのに…」というのと似たような悲哀を感じる。本人は「俺は企業(経営者)の求める人材なんだ!」とハッピーに(あるいは必死に)思いこんでいるのに経営者はそうは思っていないという…

14周年

 サイトを始めて14年が経った。14年前、当時はNTTのサイトにhtmlの書き方が載っていて、それを見ながらhtmlを書いていた。とても刺激的で自分はそれにのめり込み、非常にテンションが高かったのを今でも覚えている。
 このサイトは昔から-最近はそれが顕著だけど-更新頻度が低い。そんな状況において「14年やってきた」ヅラしていいのかどうか、なんてことを思わないでもないがそのことからは目をそらす。

 自分のモノの考え方・生き方は日々変わっている。また、自分は何かを購入しそれを使う(そして使わなくなる)、こんな場所に行く、ということを繰り返している。
 この時私はこんなことを考えた・こんな物を買った・こんな所に行ってこんな体験をした・こんな調べ物をした・等々を、今後も可能な範囲で記録していきたいなと思う。

暴力行為防止ポスターはサラリーマンのみを対象にしている

 社団法人日本民営鉄道協会が、駅構内や電車内に「暴力行為防止ポスター」を掲示している。平成22年(2010年)12月6日のプレスリリースを参照。
 この手のポスターは数年前から見かけるもので、このブログでも以前話題にした(2009年5月6日「あなたの家族や友達がどう思うか」)。そこでは「暴力を振るわれた人の不在」に対する違和感や、暴力行為防止の呼びかけに「あなたの家族や友達」を持ち出す気持ち悪さ・おかしさ、について書いた。

 で、先日またこの呼びかけポスターを見かけてふと思ったのだが、この一連のキャンペーンって呼びかけ対象が「サラリーマンのみ」なのではなかろうか。冒頭にリンクしたプレスリリースから、ポスターの掲示目的を記した文書と、ポスターのイメージをPDFで見ることができるが、その文書には

3.ポスターで訴求するポイント
 ヒビの入った写真とあわせて、「お酒に酔っての暴力行為が、あなたの大切なものをすべて壊してしまう」と強くメッセージを打ち出し、暴力行為を未然に防ぐことを目指します。
 また、暴力行為は犯罪であること、暴力行為に対して鉄道業界全体が結束して、毅然とした態度で対応することを強く訴えます。

とあり、ポスターには

上司や同僚たちに信頼され、やりがいのある職場。
仕事を通じて、社会の中に築いてきた人間関係。

しかし、お酒に酔っての”暴力行為”が、
あなたの大切なものを全て壊してしまいます。

明日もまた、いつもどおりの一日を過ごすために。

と書かれている。このポスターはどのような種類の人達に向けて作られたものなのかが見えてくる。

 また、この文書には

今回の取り組みは駅や電車内におけるお客様同士のトラブルや、駅員や乗務員などの鉄道係員に対する暴力行為が増加している昨今の状況を鑑み

とある。

 つまり、社団法人日本民営鉄道協会は

『「上司や同僚」「職場」を持ち「仕事を通じて、社会の中に築いてきた人間関係」がある人』によって「お客様同士のトラブルや、駅員や乗組員などの鉄道係員に対する暴力行為が増加」している

という認識を持っているわけだ。

 これは「職場がないヤツは暴力沙汰を起こして構わない」というよりは、「そういうヤツは車内で暴力沙汰を起こさない(起こしたとしても数が少ない)ので呼びかけの対象外」なのだろう。

 まあ、だとしてもこのポスターの気持ち悪さ、グロテスクさは変わらないのだが。なんというか、子供に対して「あのおじさんに怒られるよ」と言う親みたいな気持ち悪さがぷんぷんと漂ってくるのだあのキャンペーンポスターには。

 あと、「上司」「同僚」「職場」「社会」「人間関係」という言葉を用いると、ある種の人間をコントロールできる(実際ポスターを作っている側はそれがねらいなのだし)、というグロテスクさもよく表現されているポスターだ。

※2011/07/18 追記:
 今日気づいたのだが、JCcast第42回にて、粥川準二氏が電車内での暴力について話題にしていた

 議論のなかで、武田さんが、車内暴力の加害者について、「弱者じゃないの?」と提起し、僕はそれに同意した。
 補足しておこう。ストレスに満ちた環境があり、そこに身を置かざるを得ない人がいる。彼はアルコールでそのストレスを発散しようとしたが、結果として発散できなかった。そのまま、年末の深夜の電車というさらにストレスに満ちた環境に入る。そこではうっとおしいヤツらが大声で話しており、彼のストレスは臨界に達する……僕に直接手を出したオッサンはさておき、車内暴力をふるわざるとえない人々を、「弱者」とみなしても、それほど不当ではないと思う。

応用情報技術者試験受かってた

 10月に行われた情報処理技術者試験(平成22年度秋期)。そんなに準備もできないまま、まあ今回は模試だと思って受験して来年の春にまた頑張ろうと思いつつ受けに行った。試験は、午後は意外に出来たけど午前は全然ダメだったなあ、といった感覚。
 そういえば、試験の結果が出ている筈だと思いIPAのサイトから成績照会をしてみたら、受かっていてビックリした。午前午後それぞれで60%取れれば合格だったようで。因みに午前65点/100点、午後72点/100点だった。

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 問題集はこれを買っていた。確か、午前も午後も一冊にまとまっているのがいいやと思って買った筈。これの各章末の問題と、過去問一回分を一通りするくらいしかできず、正直あまり内容について理解できていなかった(特にDBあたりは全然わからなかった)。

 余談だけど、情報技術者試験はだいぶ前にも受けていて、平成14年(2002年)秋に基本情報技術者試験受かっていた。当時のメモを見ると、午前645点/800点、午後700点/800点だったらしい。

 自分の場合、資格試験は必要に迫られて受けているわけでもないので、またそのうち何か(情報技術者に限らず)試験を受けてみようか。

薄っぺらさや底の浅さが目につきやすくなっているのか

 日々の出来事や流れるニュースを見て、その時その時で自分では何かを言っているような気分でコメントして、でもそれが底が浅かったり薄っぺらい発言ばっかりだとする。話題になるようなニュースや出来事が次から次へと流れてきて、それにコメントをする頻度が増えれば増えるほど、こういった「底の浅さ」「薄っぺらさ」はより目立つようになる。
 ニュースや出来事自体が少なかったり、一つの話題で何ヶ月も話ができるような状況にあるよりも、「底の浅さ」「薄っぺらさ」はより目立つようになる。

 で、そういうのを目にする度に「自分は頭がいいと思っているバカ」という罵倒フレーズがよく頭に浮かぶんだか、その罵倒フレーズが頭に浮かぶ度に自分に大ダメージがヴホォアー

急にカネを持つようになった人がお出かけをすると

 日本に来る中国人観光客のマナーが悪い、的な声を聞くとき、「まー急速に経済成長をした(急速にカネを持つようになった)人が余所に出かけるようになると、そう見えてしまったり実際そうだったりすることがあるよね。昔の(今でも?)日本人観光客が海外で評判悪いと言われていたのと同じか」と私は思うんだけど、そうは思わずに「かの国の国民性」とか言い出している人を見ると頭を抱えてしまう。カネ持ってなかった人が急にカネを持つようになれば程度の差はあれそうなるんじゃないのか。
 最近のことしか知らない若い人は言うのは仕方がない面があるにせよ、過去の日本を経験している筈の年寄りが似たようなことを言っているのを見ると、教養とかものを考える力とかいうのは大事で、そういった能力は後から取り返しをつけるのが困難なのかなあと思ってしまう。成長もなく歳の数だけは増えて、そのカウント数だけをもって自分が偉くなったかのように錯覚している、学力や人格が低い年寄りは確かに存在するし、そういう人ってのは自覚や反省する心を持つには既に手遅れだったりするからねえ。
 だいぶ前の話だけど、2008/2/28に放送された、NHKのクローズアップ現代「新興国富裕層が日本を変える」で、日本に来る海外の富裕層の特集をしていた。海外の羽振りのいい人たちが日本でたくさん消費をしてますよ、という冒頭だった。高度経済成長期やバブル期の頃は日本人が海外でこういうことをしていたんだろうな海外の人の目にはこんな風に映っていたのかもしれないなあ、なんてことを思った。
 日本での買い物ツアーにあたり「たくさん買い物するぞー、おー!」って言ってた人たちや、値段の高い料理を食いながら「おいしいでーす」とカメラに向かって言う人、かつての「金満日本人」(って言い方はおかしいか。金満日本人は昔も今も金満日本人だし)のイメージとかぶるよなあ。
 ある程度以上の年齢の人ならそう見るよなあ、と私は思っているのだが、実はそうでもないのかもね。

腕時計にかかるコスト

 お値段の高い腕時計を好んで持つ人の中に「一生使うことを考えれば、一日当たりのコストを考えるとこっちのほうが割安」という意味のことを言う人がいる。
 で、気になったので計算をしてみる。

 私は、二年ちょっと前にmarumanの腕時計GETWAVEを買った。ソーラーパネル付き電波時計。家電量販店で3,000円。
 使っているうちにバンドが切れかかってきたので、先日替えのバンドを購入して自分で交換した。1,000円。
 このペースで32年使い続けると幾らかかるか。なお、バンドは二年で交換するものとする。

 3,000円+(500円/年×30年)=18,000円

 62年だと33,000円。実際には電池の交換もあるからこの通りにはいかないが、それでも5万円は超えないだろう。

 で、冒頭の高級腕時計大好きなかたの言う「腕時計」というのは幾らくらいのモノを想定しているんだろう?ちょっと気になる。
 ま、marumanの安物腕時計が30年も使えるなんて思っていないけどね。使えれば嬉しいけど。

「教員はサラリーマン経験をしたことがない≒社会を知らない」「サラリーマンはつまらない人間」

 「教員は社会を知らない(≒サラリーマンをしたことがない)からダメ」って物言いは「なんでも環境のせいにしている」物言いだな、という理屈を思いついた。「サラリーマンは平凡でつまらない人間」ってのもそうだな。
 ただ、「教員はサラリーマンをしたことがないから社会を知らなくてダメ」ってのはある意味やさしみのある物言いだよね。「社会を知っていようがいまいが、サラリーマンをしたことがあろうがなかろうが教員は根本的にダメ」なんてことになったら、仮に本当にそうだとしても残酷な物言いだよなあ、だったら「サラリーマンをしたことないから」ダメなんだ、ってことにしておいたほうがやさしみのある態度なのかもね。

 そういえば「サラリーマンは平凡でつまらない人間」っていう物言いは最近聞かなくなったなあ。サラリーマンじゃない!ビジネスマン(ビジネスパーソン)だ!とか、ライフハックでスキルアップでキャリアアップでやりがいと成長と自己実現だ!っていうイメージ(イメージと現実のギャップについては必死に目をそらしましょう)がそれなりに定着したということなのかなあ。昔のリゲインの「24時間戦えますか」CMはギャグ的要素があったけど、今はあれを大真面目にトレースしているのだなと考えると色々とブラックだ。研修屋とコンサル屋の日々の努力が実を結んだね!
 その手のイメージが定着することで一番利益を得られるのは誰か?貧乏籤を引かされるのは誰か?というかそもそも「ビジネスマン(ビジネスパーソン)」ってのは経営をしている人のことじゃね?ということは考えないようにしよう。邪念を持つ信心の足りない人は血が穢れて人生のサクセスが遠のきます。経営者の視点(笑)。