今後の人生どうなるのかということを最近急に考えるようになった。どうなるんでしょうね。
さて、ここで書きたいという思いが湧き上がらなくなってきたり、たまに湧き上がってもまあいいかと思うことが増えてきた。脳の働きがどんどん弱っているのだろうか。メモや記録程度のことでもいいからとにかく書いたほうがいいのだろうな。文章力はどんどん落ちている。とにかく書くということは重要なんですよ。誰よりも自分自身にとって。
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18周年
何もしなくても時間は過ぎるとはいえ、18年経ったらしいということに驚いている。18年前は何を考えていたんだっけ。何か色々書きたいことがたくさんあったような記憶がある。
たまにはここも更新して、読んだ本のこととか書きたいんだけどなかなかできない。まあ、あまり焦らずにやっていきます。
17周年
この一年間はまともな更新を殆どしてないなあと気づいた。
そういえば、「”マスゴミ“に騙される構図そのままに”ネットの真実“に自ら進んで騙されにいく様子」をしばしば見かけることになるとは17年前は予想してなかった。
16周年
放置されている本を読んだり、色々な生き方をしている人たちの記録を読んだりしている。
機械の性能は上がり、ネットワーク容量も上がり、色々なサービスが生まれてきた。インターネットで世界は変わるんだ!と思っていたけど、本当に世界は変わったなあと思う。
自分はダラダラやってるだけだけど、ずいぶん時間が経ったなあ。
受験生に迷惑だろ!
2012年1月の話。
【大拡散】反原発の方達に本当にお願いなんだが、今日明日の脱原発世界会議に伴って行われる脱原発世界大行進。是非、静かにやって欲しい。今日はさあ、センター試日本番なんだよ。絶対に、絶対に受験会場は避けて欲しい。声は丘の上の大学にも届くよ。受験生へのビラ配りもだめだよ!
https://twitter.com/#!/disneycruise200/status/158055807089512449
センター入試の会場近くでデモをやっている、なんて言ってないんだよな。そういう場所を通るなら静かにやってね、って言っているんだよ。まあ、短い言葉で読み取れない人もいるかも知れんが。センター入試って大学だけじゃなくて色々なビル借りてやるからね。
上記の発言で「脱原発世界大行進」と「センター試験」という、具体的なイベント名が出ていたので、これらについて調べてみた。
まず、「脱原発世界大行進」なるイベントのデモ行進ルートは以下の通り。この時のデモ行進ルートは横浜市内。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=204469348973862279411.0004b514604f3454a8a76&msa=0&ll=35.458363,139.637561&spn=0.033243,0.057678
そして、センター試験の会場は大学入試センター公式サイトにて公表されている。2012年(平成24年)の試験場一覧は下記の通り(PDF注意)。神奈川県の試験場一覧は18ページに記載されている。
http://www.dnc.ac.jp/modules/file/index.php?page=visit&cid=76&lid=1014
第三者の存在(この場合は「センター試験受験者」)を出して「この人達に迷惑がかかるだろ!」というテクニックを使うのもいいけど、まずは事実関係を確認して、そのテクニックが使えるかどうかを確認してからにしたほうがいいよね、という教訓。
「そういう場所を通る」かどうか、「センター入試って大学だけじゃなくて色々なビル借りてやる」かどうかは公式に公開されている情報から簡単に調べることができるのだから。
衣替えで季節を実感するんですか
最近あまり人前に出ないんで今でもこういう物言いがあるのか知らないけど、「衣替えで季節を実感するねえ」ってアレ、昔からすごく違和感がある。別にそういう発言自体はいいんだけど、あの手の言葉って「私は皮膚感覚で季節を実感できません」って言っているように聞こえてしまうんだ。
以前は「何月何日から衣替え」ってのが毎年同じ日に決まっていて多くの人がそれに従っていたと記憶しているけど、最近は色々な事情で「何月何日」の部分も人によってまちまちになっているように見える。「何月何日の季節の変わり目としての衣替え」って認識が広く共有されていた時代も過去のものになるのかならないのか。
理不尽に対する耐性
他人に向けて「理不尽に対する耐性」とかしたり顔で言うヤツに対しては骨の二、三本+目玉一つくらい潰してもいいと思う。それで恨み言を言い出したら「理不尽に対する耐性」が足りないということなので。
他人には理不尽への耐性を要求するけど自分自身に対する理不尽は受け入れないと言うのなら、そいつは受けた躾や教育がなっていないので両親や小学校当時の担任を呼びつけていい。
年収○○円あれば全世界年収ランキングの上位××%に入る
http://blogpal.seesaa.net/article/88037108.html
参考までに述べておくけど、年収300万円でも、上位9.44%になる。
たぶん年収三百万円の人は、自分なんて、底辺クラスだと思っていると思う。日本という国でみれば、それは正しいかもしれないけれど、全世界的にみれば、とんでもない金持ちなわけ。これは現実なの。
日本がどれだけ金持ち国家かわかるよね、これで。そして日本人がどれだけ金持ちかも。底辺の労働者ですら、世界の上位10%なわけ。
そもそも、年収10万円でも、TOP 49.22%に入っちゃうの。これが世界の現実。
上記のような物言いは一時期頻繁に目にした記憶があって、その当時から素朴に疑問なんだが「国や地域によって物価が違う」という「世界の現実」は私が思っているほどには浸透していないんだろうか。
「国や地域によって物価が違う」という現実から目を逸らさないとやってられない情況があるのか、冒頭のようなことを吹き込んでそのように思いこませる/吹き込まれてそのように思いこむことを強いられている 人たちがいるのか。
15周年
この時期はとても寒い。でも15年前がどの程度寒かったか殆ど覚えていない。寒いことよりも大事なことが他にたくさんあったんだと思う。というか15年前の自分は日々何を考えてどんな感覚で過ごしていたのかを思い出せなくなっている。
ブログに思ったこと考えたことやったことの記録をつけていこう、ということをここ何年かは意識するようになった。そういう意味でいくと、昨年秋頃にWordPressのバージョンアップをした際に、バックアップの戻しで失敗していくつか記事を失ったというのは象徴的な出来事のような気がする。
因みに、今考えていること。
- 15年くらい前に買ったシンセの液晶画面が表示されなくなって、メーカに問い合わせたら「部品がないので修理できません」と言われてしまいどうしようか思案中。
- 次のiPod touchの新製品がどうなるのか。iPod touchを買い換えるかiPhone 4SのSIMロックフリー版を買うか思案中。
継続は疲れるので手軽に社会を変えたいという欲望が
手軽に世界は変えられません/出来損ないの運動としての大量懲戒請求 – ユウガタ – 断片部
このエントリを見てつらつらと考えたこと。
- 少なくともここ二十年くらいは「改革」を求める雰囲気がある。
- 景気が悪くなる(自分に余裕が無くなる)とその傾向が更に強まる。
- 社会を変えたい。だけど自分は継続的に何かをしたくはない。手軽に変えたい。
- っていうか自分以外の誰かが自分の都合のいいように社会を変えてくれないかしら。
- ちょっとの苦情で簡単に店や店員が頭を下げるような傾向になっている(ように見える)。気にくわないCMやイベントに対してもっともらしい苦情を言えば簡単にそれらが中止される(ように見えることもある)。世の中バカが多くて疲れません?
- あとは、「ネットの力」(わらい)、なんてものの威力がたまに話題になる。
- 手軽に社会って変えられるんだ!という気分が脹らんでくる(実際手軽に変えられるかどうかは別問題。というか、気分だけ脹らんでいる人も実は社会なんて変えられないと無意識に思っていたりする)。
で、上記のような「社会の雰囲気」「庶民(わらい)のニーズ」を上手にすくい上げて、上手にアピール&パフォーマンスを行って、上手に庶民を煽ると、新感覚報道バラエティー番組や選挙で人気者になれます。で、その人気者が「庶民のニーズ」に実際に応えているのかあるいは「庶民の支持」を背景に「庶民」のクビをじわじわと絞めているのかどうかはいくつかある過去の実例を参照のこと。
こーゆー傾向はここ二十年くらいで更に強まっている、という世界観。
さて、
長嶋監督時代に巨人のヘッドコーチを務めた須藤豊は、人前でも平気で殴る指導者として選手に恐れられていた。
春のキャンプでは練習前に選手を宿舎の食堂に集めて毎朝、ミーティングを行った。緊張感を持たせるため、須藤は注意事項やプロとしての心得を説いた後、選手に質問を投げかけるのが常であった。野球センスの塊だが、飽きっぽい元木大介に対する質問は決まっていた。「継続とは何だ?答えてみろ」。
元木が、「はい、継続とは力なり、です」と答えると、たいていミーティングはお開きで、選手は食堂からぞろぞろと球場へのバスに乗り込むのだった。
しかし、来る日も来る日も「継続とは何だ」としつこく問われ続けた元木は、ある日、「おい、大介!」と問われて、「継続とは……疲れます!」と答えた。ああ殴られる、とみんなが思った瞬間に須藤が漏らした。「うん、確かに疲れるな」。
(「こんな言葉で叱られたい」清武英利 文春新書773 p107-p108)
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こんな言葉で叱られたい (文春新書) 清武 英利 文藝春秋 2010-09 |
別に野球の話がしたいわけではない。政権交代が起きた選挙の直前一ヶ月くらいの間、自称「特定の集団に属さず特定の政治思想やイデオロギーを持たない一般の一市民」様が、同じような自称をする人達によって作られたWEBサイトから「特定の政治思想やイデオロギーではない」PDFをDLして、それを大量にプリントアウトしてポスティングするという「特定の政治思想やイデオロギーに基づく政治活動」を行っていた。そのビラを見るに、彼ら彼女らは「日本の危機が危ない!」ということを訴えていたようだが、選挙によって政権交代して以降すっかりその手のビラを見なくなった。日本の危機は去ったのか、それとも彼ら彼女らは、自身の感じている危機感を感じるあまりイギリスに渡米したのか。
継続は疲れるからこそ、お手軽に社会を自分の望む方法に変えたいという欲望は頭をもたげてくるし、そこにつけ込み利用する「人気者」たちも後を絶たない。