放置されている本を読んだり、色々な生き方をしている人たちの記録を読んだりしている。
機械の性能は上がり、ネットワーク容量も上がり、色々なサービスが生まれてきた。インターネットで世界は変わるんだ!と思っていたけど、本当に世界は変わったなあと思う。
自分はダラダラやってるだけだけど、ずいぶん時間が経ったなあ。
カテゴリー: misc
受験生に迷惑だろ!
2012年1月の話。
【大拡散】反原発の方達に本当にお願いなんだが、今日明日の脱原発世界会議に伴って行われる脱原発世界大行進。是非、静かにやって欲しい。今日はさあ、センター試日本番なんだよ。絶対に、絶対に受験会場は避けて欲しい。声は丘の上の大学にも届くよ。受験生へのビラ配りもだめだよ!
https://twitter.com/#!/disneycruise200/status/158055807089512449
センター入試の会場近くでデモをやっている、なんて言ってないんだよな。そういう場所を通るなら静かにやってね、って言っているんだよ。まあ、短い言葉で読み取れない人もいるかも知れんが。センター入試って大学だけじゃなくて色々なビル借りてやるからね。
上記の発言で「脱原発世界大行進」と「センター試験」という、具体的なイベント名が出ていたので、これらについて調べてみた。
まず、「脱原発世界大行進」なるイベントのデモ行進ルートは以下の通り。この時のデモ行進ルートは横浜市内。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=204469348973862279411.0004b514604f3454a8a76&msa=0&ll=35.458363,139.637561&spn=0.033243,0.057678
そして、センター試験の会場は大学入試センター公式サイトにて公表されている。2012年(平成24年)の試験場一覧は下記の通り(PDF注意)。神奈川県の試験場一覧は18ページに記載されている。
http://www.dnc.ac.jp/modules/file/index.php?page=visit&cid=76&lid=1014
第三者の存在(この場合は「センター試験受験者」)を出して「この人達に迷惑がかかるだろ!」というテクニックを使うのもいいけど、まずは事実関係を確認して、そのテクニックが使えるかどうかを確認してからにしたほうがいいよね、という教訓。
「そういう場所を通る」かどうか、「センター入試って大学だけじゃなくて色々なビル借りてやる」かどうかは公式に公開されている情報から簡単に調べることができるのだから。
衣替えで季節を実感するんですか
最近あまり人前に出ないんで今でもこういう物言いがあるのか知らないけど、「衣替えで季節を実感するねえ」ってアレ、昔からすごく違和感がある。別にそういう発言自体はいいんだけど、あの手の言葉って「私は皮膚感覚で季節を実感できません」って言っているように聞こえてしまうんだ。
以前は「何月何日から衣替え」ってのが毎年同じ日に決まっていて多くの人がそれに従っていたと記憶しているけど、最近は色々な事情で「何月何日」の部分も人によってまちまちになっているように見える。「何月何日の季節の変わり目としての衣替え」って認識が広く共有されていた時代も過去のものになるのかならないのか。
理不尽に対する耐性
他人に向けて「理不尽に対する耐性」とかしたり顔で言うヤツに対しては骨の二、三本+目玉一つくらい潰してもいいと思う。それで恨み言を言い出したら「理不尽に対する耐性」が足りないということなので。
他人には理不尽への耐性を要求するけど自分自身に対する理不尽は受け入れないと言うのなら、そいつは受けた躾や教育がなっていないので両親や小学校当時の担任を呼びつけていい。
年収○○円あれば全世界年収ランキングの上位××%に入る
http://blogpal.seesaa.net/article/88037108.html
参考までに述べておくけど、年収300万円でも、上位9.44%になる。
たぶん年収三百万円の人は、自分なんて、底辺クラスだと思っていると思う。日本という国でみれば、それは正しいかもしれないけれど、全世界的にみれば、とんでもない金持ちなわけ。これは現実なの。
日本がどれだけ金持ち国家かわかるよね、これで。そして日本人がどれだけ金持ちかも。底辺の労働者ですら、世界の上位10%なわけ。
そもそも、年収10万円でも、TOP 49.22%に入っちゃうの。これが世界の現実。
上記のような物言いは一時期頻繁に目にした記憶があって、その当時から素朴に疑問なんだが「国や地域によって物価が違う」という「世界の現実」は私が思っているほどには浸透していないんだろうか。
「国や地域によって物価が違う」という現実から目を逸らさないとやってられない情況があるのか、冒頭のようなことを吹き込んでそのように思いこませる/吹き込まれてそのように思いこむことを強いられている 人たちがいるのか。
15周年
この時期はとても寒い。でも15年前がどの程度寒かったか殆ど覚えていない。寒いことよりも大事なことが他にたくさんあったんだと思う。というか15年前の自分は日々何を考えてどんな感覚で過ごしていたのかを思い出せなくなっている。
ブログに思ったこと考えたことやったことの記録をつけていこう、ということをここ何年かは意識するようになった。そういう意味でいくと、昨年秋頃にWordPressのバージョンアップをした際に、バックアップの戻しで失敗していくつか記事を失ったというのは象徴的な出来事のような気がする。
因みに、今考えていること。
- 15年くらい前に買ったシンセの液晶画面が表示されなくなって、メーカに問い合わせたら「部品がないので修理できません」と言われてしまいどうしようか思案中。
- 次のiPod touchの新製品がどうなるのか。iPod touchを買い換えるかiPhone 4SのSIMロックフリー版を買うか思案中。
継続は疲れるので手軽に社会を変えたいという欲望が
手軽に世界は変えられません/出来損ないの運動としての大量懲戒請求 – ユウガタ – 断片部
このエントリを見てつらつらと考えたこと。
- 少なくともここ二十年くらいは「改革」を求める雰囲気がある。
- 景気が悪くなる(自分に余裕が無くなる)とその傾向が更に強まる。
- 社会を変えたい。だけど自分は継続的に何かをしたくはない。手軽に変えたい。
- っていうか自分以外の誰かが自分の都合のいいように社会を変えてくれないかしら。
- ちょっとの苦情で簡単に店や店員が頭を下げるような傾向になっている(ように見える)。気にくわないCMやイベントに対してもっともらしい苦情を言えば簡単にそれらが中止される(ように見えることもある)。世の中バカが多くて疲れません?
- あとは、「ネットの力」(わらい)、なんてものの威力がたまに話題になる。
- 手軽に社会って変えられるんだ!という気分が脹らんでくる(実際手軽に変えられるかどうかは別問題。というか、気分だけ脹らんでいる人も実は社会なんて変えられないと無意識に思っていたりする)。
で、上記のような「社会の雰囲気」「庶民(わらい)のニーズ」を上手にすくい上げて、上手にアピール&パフォーマンスを行って、上手に庶民を煽ると、新感覚報道バラエティー番組や選挙で人気者になれます。で、その人気者が「庶民のニーズ」に実際に応えているのかあるいは「庶民の支持」を背景に「庶民」のクビをじわじわと絞めているのかどうかはいくつかある過去の実例を参照のこと。
こーゆー傾向はここ二十年くらいで更に強まっている、という世界観。
さて、
長嶋監督時代に巨人のヘッドコーチを務めた須藤豊は、人前でも平気で殴る指導者として選手に恐れられていた。
春のキャンプでは練習前に選手を宿舎の食堂に集めて毎朝、ミーティングを行った。緊張感を持たせるため、須藤は注意事項やプロとしての心得を説いた後、選手に質問を投げかけるのが常であった。野球センスの塊だが、飽きっぽい元木大介に対する質問は決まっていた。「継続とは何だ?答えてみろ」。
元木が、「はい、継続とは力なり、です」と答えると、たいていミーティングはお開きで、選手は食堂からぞろぞろと球場へのバスに乗り込むのだった。
しかし、来る日も来る日も「継続とは何だ」としつこく問われ続けた元木は、ある日、「おい、大介!」と問われて、「継続とは……疲れます!」と答えた。ああ殴られる、とみんなが思った瞬間に須藤が漏らした。「うん、確かに疲れるな」。
(「こんな言葉で叱られたい」清武英利 文春新書773 p107-p108)
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こんな言葉で叱られたい (文春新書) 清武 英利 文藝春秋 2010-09 |
別に野球の話がしたいわけではない。政権交代が起きた選挙の直前一ヶ月くらいの間、自称「特定の集団に属さず特定の政治思想やイデオロギーを持たない一般の一市民」様が、同じような自称をする人達によって作られたWEBサイトから「特定の政治思想やイデオロギーではない」PDFをDLして、それを大量にプリントアウトしてポスティングするという「特定の政治思想やイデオロギーに基づく政治活動」を行っていた。そのビラを見るに、彼ら彼女らは「日本の危機が危ない!」ということを訴えていたようだが、選挙によって政権交代して以降すっかりその手のビラを見なくなった。日本の危機は去ったのか、それとも彼ら彼女らは、自身の感じている危機感を感じるあまりイギリスに渡米したのか。
継続は疲れるからこそ、お手軽に社会を自分の望む方法に変えたいという欲望は頭をもたげてくるし、そこにつけ込み利用する「人気者」たちも後を絶たない。
体感治安に対応するのは誰の仕事?
http://twitter.com/fwd_yutaro/status/20701340991
「体感治安」気になったので、主要4紙のDBで90年代以降を見てみると初出は1994年読売で、福岡県警の意識調査にて「体感治安」が使われてる。が、メジャーになってるのは、1996年正月あたりから。井上警視総監のインタビューや国松警察庁長官の話の中に出てくる。オウムの次の年。
「国家権力が送配電網と家電製品を通じて私を盗聴している!!!!」とか「今すれ違った奴が俺を見て笑った!組織に雇われた監視員に違いない!!!!」とか言っている人の中では、その人にとっての「体感治安」は実際最悪なわけ。だが、それに対応すべきなのは警察ではなくて医者なんじゃないのか。
素朴な疑問なんだが、「私は全く犯罪に遭っていないけれどなんか最近治安が悪いってテレビや新聞で言っている!怖い!治安は年々悪くなっている!!!!」となると何故警察の管轄になるのだろう。
けいおん!!チロルチョコの包装紙保管方法
チロルチョコの包装紙は、DECOチョコストラップやDECOチョコマグネットを使ってアクセサリー化することができる。
去年、ムーミンのチロルチョコを買ったときにDECOチョコマグネットを使い、それがまだ余っていたのでけいおん!!のチロルチョコの包装紙も同じようにしようと思っていたのだが…
リンク:けいおんフェア逃してしまったので『けいおん!!つめてねチロル』買ってきたw
材料費をケチっているのかわからないが、けいおんチロルはサイズが微妙に小さくなっている。とりあえず一つDECOチョコマグネットに貼ってみたが非常に厳しい。
リンク:パッケージのコレクション方法
なので、ひとまずはトレカ用のクリアカバーに保管している。
一生経営者になれない「気分だけ経営者」の悲哀
会社員の世界は正直よく知らないのだが、一時期よく耳にした「経営者視点」ってなんだったのだろう。「経営者」がそれを言うのならわかるんだが、経営者でもない、なるつもりもない人がしたり顔で「経営者視点での業務遂行」を説いていた。滑稽だなと思いながら聞いていたが、その言葉を発している人は大抵真顔なので、自分の発言に何の疑問も持っていないんだろう。
不思議で仕方ないのが、「経営者視点を説く労働者」(以下「Aさん」とする)の発言に見え隠れするAさんの意識。
Aさんの話に出てくる「経営者」には、なぜかAさんやAさんの所属部門を「不要な経営資源」として切り捨てる「経営者」は存在しない。口先だけでも「危機感」とか言ってるのはまだマシなほうで、そういう意識すら無いのも結構いる。
AさんやAさんの所属部門を評価するのはAさんではない。Aさんは経営者じゃないんだから。なのに、自身が「不要な経営資源」として切り捨てられる可能性に関して無頓着だったりする。「頑張る」「スキルを身につける」「経営者視点で会社に利益をもたらす」とは言うが、それはAさんをAさん自身が評価しているだけの話で「経営者」のAさんに対する評価ではない。「経営者」と「Aさん」が一体化しているという前提がないと意味のない話ではなかろうか。もしかしたらAさんの脳内では「経営者と一体化しているハイブロウな俺ちゃん」というファンタジー設定が具現化しているのだろうか。いったいAさんはどのような会社生活を送っているのだろう、色々な意味で気になる。
社会人は経営者の視点がないと生き残れない気がするのですが、どうでしょう?:片岡麻実の「チャレンジド×IT=ユニバーサルデザイン!?」 – CNET Japan
ここでなかなか興味深いやりとりがあった。どうもコメント欄は既に無くなっている?ようなのだが、自分のメモに残っているやりとりを紹介したい。
> 会社の利益を上げなければお給料を本来もらえないのでは?
そのひと言では何とも言えません。
経営者はそれが日常的に利益を上げることが仕事ですが従業員は与えられた仕事を正しくこなすのが仕事。研究開発などもそうですが利益が上がらなくても誰かがやらなければならない仕事など世の中たくさんあります。
極論ですが会社の規模がどうあれ、たった1人の行動や判断のおかしな社員がいればその行動や判断次第で会社が傾くことだってあり得ます。だから「経営者」には質の高い行動と確実な判断が求められます。でも行動のおかしな社員に「あなたも経営者たれ」なんて言ったらどうなるか?
Aさんの持っている「経営者の視点」が「実際の経営者の視点」とあまりに違いすぎるとまずかろうなと思う。「自分は経営者と一体化している!」という、脳内設定と現実の区分が曖昧になってしまったAさんが「経営者すなわち俺」と「経営者の視点」を振り回すと「会社の利益」を損ねる確率が上がるだろう。しかも、現実と脳内設定の境界があやふやになってしまったAさんはその自覚を持てるだろうか?「経営者の視点を持つ俺が会社の利益を損ねているなんてありえない!」となってしまう可能性は?
さて、
ワタミ会長「ビルの9階で会議中に、『今すぐここから飛び降りろ!』と平気で言います。」:アルファルファモザイク
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「罵倒の後優しく」という定番の奴隷製造メソッドと、そうやって仕立て上げた奴隷に経営者の権限や責任や待遇を与えることなく「経営者目線」を要求する、という奴隷活用のテクニックがある。
権限も責任も待遇も与えないままに「経営者目線」を要求したって、せいぜい「気分だけ経営者」(「名ばかり管理職」みたいなものだと思ってください)になった奴隷が自分の気にくわないヤツを指して「あいつはせいさんせいがひくいからりすとらでちゅーばぶぅー」にしかならないのではなかろうか。
まあ、渡邉美樹氏のような経営者からしてみればそれでいいし、また、それで満足してしまう「気分だけ経営者」な「経営者視点を説く労働者」も結構たくさんいるのだろうなあ。
当人が満足なのはいいんだけど、こういった人を抱えている企業や周囲の人は大変だろう。
そしてまた別のブログで興味深い指摘が。
それは経団連用語の「主体性」を誤解していますね
集団や組織に懐疑の目を向ける唯一者としての主体性ではありません。むしろ、集団や組織と一体化する主体性です。
これは、組織の一員として自分が組織を背負ったつもりで、地位は平社員であっても社長になったつもりで、まさに自分自身を組織の主体と考えて行動できる性質のことです。島耕作的主体性とでも言いましょうか。
企業側は「こちらが何も言わなくても、自主的にこちらの意向を汲み取り、自主的にこちらの望む行動をする人材が欲しい」という意味で「主体性のある学生が欲しい」と言っている
「気分だけ経営者」な「経営者視点を説く労働者」とは「企業の求める主体性」の持ち主である、と言うこともできそうだ。もちろん「Aさんが脳内で思い描く自画像」と「経営者が実際に求める人物像」のミスマッチはあるのだが。
一昔前のドラマにありそうな「俺は会社のために身を粉にして頑張ってきたのに…」というのと似たような悲哀を感じる。本人は「俺は企業(経営者)の求める人材なんだ!」とハッピーに(あるいは必死に)思いこんでいるのに経営者はそうは思っていないという…