14周年

 サイトを始めて14年が経った。14年前、当時はNTTのサイトにhtmlの書き方が載っていて、それを見ながらhtmlを書いていた。とても刺激的で自分はそれにのめり込み、非常にテンションが高かったのを今でも覚えている。
 このサイトは昔から-最近はそれが顕著だけど-更新頻度が低い。そんな状況において「14年やってきた」ヅラしていいのかどうか、なんてことを思わないでもないがそのことからは目をそらす。

 自分のモノの考え方・生き方は日々変わっている。また、自分は何かを購入しそれを使う(そして使わなくなる)、こんな場所に行く、ということを繰り返している。
 この時私はこんなことを考えた・こんな物を買った・こんな所に行ってこんな体験をした・こんな調べ物をした・等々を、今後も可能な範囲で記録していきたいなと思う。

暴力行為防止ポスターはサラリーマンのみを対象にしている

 社団法人日本民営鉄道協会が、駅構内や電車内に「暴力行為防止ポスター」を掲示している。平成22年(2010年)12月6日のプレスリリースを参照。
 この手のポスターは数年前から見かけるもので、このブログでも以前話題にした(2009年5月6日「あなたの家族や友達がどう思うか」)。そこでは「暴力を振るわれた人の不在」に対する違和感や、暴力行為防止の呼びかけに「あなたの家族や友達」を持ち出す気持ち悪さ・おかしさ、について書いた。

 で、先日またこの呼びかけポスターを見かけてふと思ったのだが、この一連のキャンペーンって呼びかけ対象が「サラリーマンのみ」なのではなかろうか。冒頭にリンクしたプレスリリースから、ポスターの掲示目的を記した文書と、ポスターのイメージをPDFで見ることができるが、その文書には

3.ポスターで訴求するポイント
 ヒビの入った写真とあわせて、「お酒に酔っての暴力行為が、あなたの大切なものをすべて壊してしまう」と強くメッセージを打ち出し、暴力行為を未然に防ぐことを目指します。
 また、暴力行為は犯罪であること、暴力行為に対して鉄道業界全体が結束して、毅然とした態度で対応することを強く訴えます。

とあり、ポスターには

上司や同僚たちに信頼され、やりがいのある職場。
仕事を通じて、社会の中に築いてきた人間関係。

しかし、お酒に酔っての”暴力行為”が、
あなたの大切なものを全て壊してしまいます。

明日もまた、いつもどおりの一日を過ごすために。

と書かれている。このポスターはどのような種類の人達に向けて作られたものなのかが見えてくる。

 また、この文書には

今回の取り組みは駅や電車内におけるお客様同士のトラブルや、駅員や乗務員などの鉄道係員に対する暴力行為が増加している昨今の状況を鑑み

とある。

 つまり、社団法人日本民営鉄道協会は

『「上司や同僚」「職場」を持ち「仕事を通じて、社会の中に築いてきた人間関係」がある人』によって「お客様同士のトラブルや、駅員や乗組員などの鉄道係員に対する暴力行為が増加」している

という認識を持っているわけだ。

 これは「職場がないヤツは暴力沙汰を起こして構わない」というよりは、「そういうヤツは車内で暴力沙汰を起こさない(起こしたとしても数が少ない)ので呼びかけの対象外」なのだろう。

 まあ、だとしてもこのポスターの気持ち悪さ、グロテスクさは変わらないのだが。なんというか、子供に対して「あのおじさんに怒られるよ」と言う親みたいな気持ち悪さがぷんぷんと漂ってくるのだあのキャンペーンポスターには。

 あと、「上司」「同僚」「職場」「社会」「人間関係」という言葉を用いると、ある種の人間をコントロールできる(実際ポスターを作っている側はそれがねらいなのだし)、というグロテスクさもよく表現されているポスターだ。

※2011/07/18 追記:
 今日気づいたのだが、JCcast第42回にて、粥川準二氏が電車内での暴力について話題にしていた

 議論のなかで、武田さんが、車内暴力の加害者について、「弱者じゃないの?」と提起し、僕はそれに同意した。
 補足しておこう。ストレスに満ちた環境があり、そこに身を置かざるを得ない人がいる。彼はアルコールでそのストレスを発散しようとしたが、結果として発散できなかった。そのまま、年末の深夜の電車というさらにストレスに満ちた環境に入る。そこではうっとおしいヤツらが大声で話しており、彼のストレスは臨界に達する……僕に直接手を出したオッサンはさておき、車内暴力をふるわざるとえない人々を、「弱者」とみなしても、それほど不当ではないと思う。

応用情報技術者試験受かってた

 10月に行われた情報処理技術者試験(平成22年度秋期)。そんなに準備もできないまま、まあ今回は模試だと思って受験して来年の春にまた頑張ろうと思いつつ受けに行った。試験は、午後は意外に出来たけど午前は全然ダメだったなあ、といった感覚。
 そういえば、試験の結果が出ている筈だと思いIPAのサイトから成績照会をしてみたら、受かっていてビックリした。午前午後それぞれで60%取れれば合格だったようで。因みに午前65点/100点、午後72点/100点だった。

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 問題集はこれを買っていた。確か、午前も午後も一冊にまとまっているのがいいやと思って買った筈。これの各章末の問題と、過去問一回分を一通りするくらいしかできず、正直あまり内容について理解できていなかった(特にDBあたりは全然わからなかった)。

 余談だけど、情報技術者試験はだいぶ前にも受けていて、平成14年(2002年)秋に基本情報技術者試験受かっていた。当時のメモを見ると、午前645点/800点、午後700点/800点だったらしい。

 自分の場合、資格試験は必要に迫られて受けているわけでもないので、またそのうち何か(情報技術者に限らず)試験を受けてみようか。

薄っぺらさや底の浅さが目につきやすくなっているのか

 日々の出来事や流れるニュースを見て、その時その時で自分では何かを言っているような気分でコメントして、でもそれが底が浅かったり薄っぺらい発言ばっかりだとする。話題になるようなニュースや出来事が次から次へと流れてきて、それにコメントをする頻度が増えれば増えるほど、こういった「底の浅さ」「薄っぺらさ」はより目立つようになる。
 ニュースや出来事自体が少なかったり、一つの話題で何ヶ月も話ができるような状況にあるよりも、「底の浅さ」「薄っぺらさ」はより目立つようになる。

 で、そういうのを目にする度に「自分は頭がいいと思っているバカ」という罵倒フレーズがよく頭に浮かぶんだか、その罵倒フレーズが頭に浮かぶ度に自分に大ダメージがヴホォアー

急にカネを持つようになった人がお出かけをすると

 日本に来る中国人観光客のマナーが悪い、的な声を聞くとき、「まー急速に経済成長をした(急速にカネを持つようになった)人が余所に出かけるようになると、そう見えてしまったり実際そうだったりすることがあるよね。昔の(今でも?)日本人観光客が海外で評判悪いと言われていたのと同じか」と私は思うんだけど、そうは思わずに「かの国の国民性」とか言い出している人を見ると頭を抱えてしまう。カネ持ってなかった人が急にカネを持つようになれば程度の差はあれそうなるんじゃないのか。
 最近のことしか知らない若い人は言うのは仕方がない面があるにせよ、過去の日本を経験している筈の年寄りが似たようなことを言っているのを見ると、教養とかものを考える力とかいうのは大事で、そういった能力は後から取り返しをつけるのが困難なのかなあと思ってしまう。成長もなく歳の数だけは増えて、そのカウント数だけをもって自分が偉くなったかのように錯覚している、学力や人格が低い年寄りは確かに存在するし、そういう人ってのは自覚や反省する心を持つには既に手遅れだったりするからねえ。
 だいぶ前の話だけど、2008/2/28に放送された、NHKのクローズアップ現代「新興国富裕層が日本を変える」で、日本に来る海外の富裕層の特集をしていた。海外の羽振りのいい人たちが日本でたくさん消費をしてますよ、という冒頭だった。高度経済成長期やバブル期の頃は日本人が海外でこういうことをしていたんだろうな海外の人の目にはこんな風に映っていたのかもしれないなあ、なんてことを思った。
 日本での買い物ツアーにあたり「たくさん買い物するぞー、おー!」って言ってた人たちや、値段の高い料理を食いながら「おいしいでーす」とカメラに向かって言う人、かつての「金満日本人」(って言い方はおかしいか。金満日本人は昔も今も金満日本人だし)のイメージとかぶるよなあ。
 ある程度以上の年齢の人ならそう見るよなあ、と私は思っているのだが、実はそうでもないのかもね。

腕時計にかかるコスト

 お値段の高い腕時計を好んで持つ人の中に「一生使うことを考えれば、一日当たりのコストを考えるとこっちのほうが割安」という意味のことを言う人がいる。
 で、気になったので計算をしてみる。

 私は、二年ちょっと前にmarumanの腕時計GETWAVEを買った。ソーラーパネル付き電波時計。家電量販店で3,000円。
 使っているうちにバンドが切れかかってきたので、先日替えのバンドを購入して自分で交換した。1,000円。
 このペースで32年使い続けると幾らかかるか。なお、バンドは二年で交換するものとする。

 3,000円+(500円/年×30年)=18,000円

 62年だと33,000円。実際には電池の交換もあるからこの通りにはいかないが、それでも5万円は超えないだろう。

 で、冒頭の高級腕時計大好きなかたの言う「腕時計」というのは幾らくらいのモノを想定しているんだろう?ちょっと気になる。
 ま、marumanの安物腕時計が30年も使えるなんて思っていないけどね。使えれば嬉しいけど。

「教員はサラリーマン経験をしたことがない≒社会を知らない」「サラリーマンはつまらない人間」

 「教員は社会を知らない(≒サラリーマンをしたことがない)からダメ」って物言いは「なんでも環境のせいにしている」物言いだな、という理屈を思いついた。「サラリーマンは平凡でつまらない人間」ってのもそうだな。
 ただ、「教員はサラリーマンをしたことがないから社会を知らなくてダメ」ってのはある意味やさしみのある物言いだよね。「社会を知っていようがいまいが、サラリーマンをしたことがあろうがなかろうが教員は根本的にダメ」なんてことになったら、仮に本当にそうだとしても残酷な物言いだよなあ、だったら「サラリーマンをしたことないから」ダメなんだ、ってことにしておいたほうがやさしみのある態度なのかもね。

 そういえば「サラリーマンは平凡でつまらない人間」っていう物言いは最近聞かなくなったなあ。サラリーマンじゃない!ビジネスマン(ビジネスパーソン)だ!とか、ライフハックでスキルアップでキャリアアップでやりがいと成長と自己実現だ!っていうイメージ(イメージと現実のギャップについては必死に目をそらしましょう)がそれなりに定着したということなのかなあ。昔のリゲインの「24時間戦えますか」CMはギャグ的要素があったけど、今はあれを大真面目にトレースしているのだなと考えると色々とブラックだ。研修屋とコンサル屋の日々の努力が実を結んだね!
 その手のイメージが定着することで一番利益を得られるのは誰か?貧乏籤を引かされるのは誰か?というかそもそも「ビジネスマン(ビジネスパーソン)」ってのは経営をしている人のことじゃね?ということは考えないようにしよう。邪念を持つ信心の足りない人は血が穢れて人生のサクセスが遠のきます。経営者の視点(笑)。

教員の行う「体罰」に関する風当たりと不公平感について

 私自身はことある毎に罵声を浴びせられ時にはぶん殴られて「教育」されてきたということもあり、教員が生徒に暴力をふるうこと(「体罰」という言い方でもいいが)を「なにがなんでも絶対ダメ」とは思わない。ただまあ、暴力の運用方法に難がある教員のほうが多いな、と昔から思っている。平たく言えば「バカが暴力を用いるから問題になるんだ」ってこと。だから「何がなんでも暴力体罰はダメ」って方向になるのも無理はないよねえとも思う。もっと言えば何が何でも一律禁止!となるのはバカ教員の自業自得で連帯責任。
 かつて自分の周りの教員は「おまえらが悪いことばっかりすると決まりで縛らざるを得なくなる」「誰かが悪いことをすると『あの学校は…』という目で見られるんだ」とことある毎に言っていた。今、その言葉が「教員」自身に降りかかっている。

 さて、「かつて学校で殴られていた人」の中には昨今のそういう風潮に対して面白く思わない人がいる。

http://guideline.livedoor.biz/archives/50911183.html

 もう二度と学校に行かなくてもいいからって好き勝手言い過ぎです。あと根本的に頭の悪いのが混じっている。
 この手のニュースへの反応ってのは「自分が昔、如何にすごい体罰を受けたか自慢」「今になって思えばそれを受け入れられる俺って大人(うっとり)」というものになりがちなんだよね。バカだなあと思うけど、それが「教育の成果」であって、そういう反応をする人ってのが「学校で受けた教育がよく身についているいい子ちゃん」とされているわけだからどうにもならない。当人は本気の善意で心からそう信じているんだろう。何かを自分で抑圧しているという可能性も考えられるけど。
 彼らの発言を聞いていると、「自分たちはバカスカ殴られたのに今のガキどもはそうじゃないなんて不公平だ!不平等だ!」と言いたげなのがとても面白い。典型的な「戦後民主主義教育」の負の側面だな、と思う。
 更に、こういう人たちの中には、別の話題においては「戦後民主主義教育的悪平等が日本人をダメにした」みたいな発言をするのもいて、これもまた面白い現象だ。当人が自身の言動の面白カッコよさに気づいているかどうかは不明だが。

http://d.hatena.ne.jp/oono_n/20080711#1215767315

 これはまた別の「体罰事件」に関するコメントで、至極まともなコメントだと私は思うんだけど、上にも書いたとおり、こういうコメントは「学校で受けた教育がよく身についているいい子ちゃん」のコメントじゃあないのよね。

 繰り返しになるけど、昔に比べて教員の「情熱的な教育指導」がどうしてこんなに騒がれるかというと、バカな教員がバカみたいに「情熱的な教育指導」をバカバカやりまくったからだと私は思っている。そういう意味で、バカ教員の暴力沙汰が騒がれるようになったのはバカ教員の自業自得であり自己責任であり連帯責任であると私は思うんだけど、意外にそう思っている人って少ないのかな。

叱られたことがない世代?ああ新人類世代とかバブル世代のことね

いよいよ「ゆとり世代」が社会人に、真面目だが叱られたことがない若者の意識とは(2) – 09/12/10 | 12:32

真面目でプライドが高く、叱られたことがないという内定者。社会人になれば上司に厳しく注意されることなど珍しいことではない。取引先とのトラブルなど日常茶飯事だ。「ゆとり世代」は社会の荒波を乗り切っていけるのだろうか。
(東洋経済HRオンライン編集部:田宮寛之 撮影:尾形文繁)

 1990年前後だったと記憶しているけど、TVタックルというTV番組でバブル期の新入社員をネタにとりあげていて、「バブル期入社の新入社員が上司に厳しく注意されて『(生まれて)初めて怒られちゃったよ~』と肩を落とす」という内容の再現ビデオを見たことをいまだに覚えている。
 あと、バブル期入社の世代は当時「豊かな社会に生まれて甘やかされてわがままに育った世代」的な言われ方をしていたことも覚えているので、冒頭のような記事を見るとついつい薄ら笑いを浮かべてしまう。2010年の今、「ゆとり世代」を相手に鬱憤晴らしをしている「バブル世代」もいるんだろうなあ。「豊かな社会に生まれて甘やかされてわがままに育った世代」の今の心境を聞いてみたいものです。

 いつまでも変わらない新入社員に関する物言いってのは「老人のご機嫌取りで日銭を稼ぐ紙メディアのビジネスモデル」だという指摘。

http://twitter.com/T_akagi/status/12510375506

間違いなく10年前も同じようなことを言っているメディアがあったし、20年前30年前にも繰り返されているであろう新入社員批判です。:【入社・新生活】 2010年新人社員の取扱説明書 http://bit.ly/cZz6T2

http://twitter.com/monyop/status/12511138443

つまり変わらなかったのは、老人のご機嫌取りで日銭を稼ぐ紙メディアのビジネスモデルだったとw RT @T_akagi: . @chanbara 「新人類」というと、長州力を思い出すゲーム脳。新人類は80年代だから、30年前も同じことを言ってましたね。

 いつの時代も、ビジネスモデルと同時にニーズも不変なのだろう。一種の共犯関係か。

参考リンク:
入社年度別新入社員タイプ
新人類世代の現在
新人類(しんじんるい) – 日本語俗語辞書
(PDF注意)バブル体験世代と消費
http://www.jmr-g.co.jp/proposal/192.html

昔の議論を忘れて「指標や順位が上がれば日本は復活する」みたいに言われてもねえ

 GNPとかGDPとか、子どもの学力の国際順位とか、そういった数字が下がってきていて由々しき事態だ、と騒いでいる人がいて、まあそれはそれでいいんだけどちょっと気になることがある。
 数字とか順位さえ上げればそれでよしと思ってね?ってのがたまに目につく。ジャパンアズナンバーワンなんて言葉があった頃はあった頃で、数字上は金持ちになった筈なのに生活は全然金持ちじゃないとか土地が高すぎて都会に住めないとか相続税が払えないとか人口が多すぎて息が詰まるとか色々あった筈なんだけど。
 そういった過去の議論や反省を踏まえた上で色々考えないと、結局同じところを行ったり来たりするだけで進歩がないんじゃないの?
 自分より年上で、大人として過去を経験して色々な蓄積を積んでいる筈の年代にも、そういった視点がすっぽり抜け落ちている人がいるように見受けられる。なんなんだろう。
 TVタックルって番組あるでしょ?バブル華やかなりし頃、あの番組でママさんコーラスを使って「♪財テク財テク地上~げ♪」って当時の世相を歌わせていたんだけど、バブル崩壊以降一定の頻度で見かける「バブルよもう一度!バブル来れば全てハッピーオールオッケー!」的な人を見るたびにあのネタを思い出す。♪財テク財テク地上~げ♪♪財テク財テク地上~げ♪

 そのからみで思い出したんだけど、2009年6月にNHKのクローズアップ現代でこんな特集があった。

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2009/0906-3.html#thu

6月18日(木)放送予定
“10歳の壁”を乗り越えろ ~考える力をどう育てるか~
「学力低下」問題をうけて去年、学習指導要領が改訂。算数・理科は前倒しで今年から新しいカリキュラムへの移行が始まった。授業時間も増えたが、それ以上に学習内容が全体に増加、前倒しされる。そうした中、教育現場で注目されているのが「小4の壁」という現象だ。この20年間、授業時間が削減され、学習内容も易しくなっているにも関わらず、勉強についていけなくなる児童が、9歳から10歳、つまり小学4年前後に急激に増えているのだ。原因の一つと考えられるのが「考える力」の低下。算数の場合、計算は得意でも、文章題になるとできないケースが目立つ。背景として、ドリルに依存した学習スタイルや、家庭での会話の減少によるコミュニケーション能力の遅れなどが指摘されている。各地で模索されている対策も紹介しつつ、「考える力」をどう育てればいいのかを考える。
(NO.2753)
スタジオゲスト : 佐藤 学さん(東京大学教授)

 ここにある

「考える力」の低下。算数の場合、計算は得意でも、文章題になるとできないケースが目立つ。背景として、ドリルに依存した学習スタイルや、家庭での会話の減少によるコミュニケーション能力の遅れなどが指摘されている。

ってのは1980年代後半あたりにも聞いた話だなあと思ったよ。

 更に関連してこんな指摘も。
そろそろ周回遅れの教育議論は止めにしよう – Munchener Brucke

私が中高生だった頃、まさに詰め込み教育、受験地獄批判花盛りで、知識偏重の教育の弊害が盛んに叫ばれた。官僚の不祥事やら、日本の国際競争力低下まで、何でもこれらの問題だとされ、教育改革が急務だとされていた。

ところが今度は、80年代にさんざん議論されたことは無視され、再び教科書が厚くなったというどうでもいい部分が強調され、今度は、知識量偏重の教育を復活させるベクトルが働いた。

全く進歩しない議論を30年間やってきた総括をしないと、また空虚な教育議論を繰り返すだけである。

ただなぜか「ゆとり教育批判」の中で、エリート教育=「詰め込み復活」みたいな議論が多い。20年前の議論の方が理に適っていた