この事件で「民主主義の危機!」と言っている人がいるけど順序が逆で、民主主義や司法や行政や経済が破壊された結果としてこの事件が起きた。
そういった社会の基盤を破壊してきた張本人の末路がアレなのか、と思うと考えさせられる。
この事件で「民主主義の危機!」と言っている人がいるけど順序が逆で、民主主義や司法や行政や経済が破壊された結果としてこの事件が起きた。
そういった社会の基盤を破壊してきた張本人の末路がアレなのか、と思うと考えさせられる。
「勃起不全=人間ではなくなった」という考え。(2022/5/12現在非公開ツイート)
https://twitter.com/76ouij0qhqx50/status/1524171131191631872
「結婚してやっと人間になれる」という考え。
https://twitter.com/63cities/status/1523512564852101120
会社員の知人が、メンタル疾患になり心療内科に行き職場にそれを報告して会社をしばらく休むことになった時に「自分は普通の人間にすらなれなかったダメな存在なんだな」と認識し、それを十年二十年という長さで未だに引きずっている、という話をしていたのを思い出す。
人間とは何か。
重要な仕事、「家事」を忘れている 経営者ブログ 鈴木幸一 IIJ会長
2021年3月2日の2:00に公開され、その日の15:38に「(一部不適切な表現があり、筆者の承諾を得て当該部分を削除しました)」という、IIJ会長鈴木幸一さんの文章。削除された部分は以下のとおり。
男女差別をなくすには
わが身を振り返ると、毎日、毎日、たくさんの時間を費やして家事に集中していた時代の女性には、すごみがあると、母親の料理や洗濯などを思い出す。友人は「そんなもんだよ。男の仕事はほとんどが、ある程度の知識があると、なんとかなる。形はともかく、その核心まで、考え抜いた結果というのは、少ないはず」と言う。わが国も、徹底して男女差別をなくそうと、日々、そんな話がメディアに報道されている。東京都では、今後、2~3年間で、あらゆる審議会の男女比率を6対4にするという。つまり審議会の委員の4割は女性になるという方針が出されたようだ。それも変な話である。男女を問わず、にわか知識で言葉を挿むような審議会の委員に指名されるより、女性が昔ながらの主婦業を徹底して追求した方が、難しい仕事だし、人間としての価値も高いし、日本の将来にとっても、はるかに重要なことではないかと、そんなことを思うのだが、口にしようものなら、徹底批判されそうである。本当の男女差別をなくそうということであれば、目先の形だけを追求していても仕方がない気もするのだが。
味わい深いなと思ったのは引用部後半にある、
「男女を問わず、にわか知識で言葉を挿むような審議会の委員に指名されるより、」
と
「女性が昔ながらの主婦業を徹底して追求した方が、難しい仕事だし、人間としての価値も高いし、日本の将来にとっても、はるかに重要なことではないかと、」
が対比されている点。「男女を問わず」で始まっているのに対比される部分の書き出しは「女性が」となっており、そこで敢えて男性を除外したのは何か理由があるのだろうか?と素朴な疑問を持った。
例えばこの部分、「男女が昔ながらの主婦業を徹底して追求した方が、難しい仕事だし、人間としての価値も高いし、日本の将来にとっても、はるかに重要なことではないかと、」と書けば、文章の構成上も「男女差別をなくすには」という小見出し上も自然な流れになるし、加えて言えばここまで批判もされなかったんじゃないか。
文章の構成や流れを不自然なものにまでして、わざわざ主婦業の話から男性を除外し、ご自身も認識していたとおり「徹底批判されそう」な文章を書いた鈴木幸一さん、一体何をお考えになられていたのだろうか。
鈴木幸一さんの文章についてのツッコミの数々を以下に紹介する。
「怒り」ってのは知力も体力も精神力も要求される行為で、しかもそれらをすり減らしていく行為なんじゃないの?と思ったんだけど、「非常に簡単な娯楽」としてしか怒ったことが無い人はこういう考えに至るのかも。
まあ、この考え方は、怒っている人を冷笑したい時に使えるテクニックなのでこういうのが必要な人生を送っている人は覚えておくといいと思います。
もちろん、怒ることの無い人生ってのは非常に難易度が高いので、何かに怒った時の自分自身に冒頭のような言葉が返ってきます。
「この手のことを言う人って怒ったことないのかな?ずいぶん楽な人生歩んできてるなあ羨ましいなあ今からでも俺と人生変わってくれないかなあ」と素朴な疑問が出てきますが口にはしません。
2021/5/29追記:
https://friday.kodansha.co.jp/article/182699
「怒り」というのは非常に簡単な娯楽、という人たちは、上のリンクで紹介されているWADA氏のような人をどう見るのか、非常に興味深い。
“娯楽としての怒り” の続きを読む日刊スポーツによる、国際オリンピック委員会(IOC)委員で国際体操連盟(FIG)会長である渡辺守成氏のインタビュー記事。
https://www.nikkansports.com/sports/news/202011110000925.html
「開催しなければ日本の経済がガタガタになる」「投資は回収すべき」渡辺守成さん、知性溢れる大変素直でおもしろカッコイイ発言だと思います。
そして極めつけは「今の東京五輪は丘の上の豪邸。そこが火の車になろうが、コロナでどうしようが、全く国民は興味がない。そうではなく、みんな一緒に長屋に住んでいて火事になれば、みんなで助ける」。
豪邸から出るつもりもないくせに、とか、長屋に住んでいる人たちだってコロナで七転八倒しているんですよまさか自分だけが大変だと思ってる?などツッコミどころが山ほどありますが、長屋に住んでいる国民どもが豪邸に住んでいる俺たちを助けて当然だ、という熱い本音がひしひしと伝わってきます。ご苦労さん帰っていいよ。
こういう人を見ると、本人の顔や名前はどうでもいいけど、この人の両親の顔と名前にたいへん興味が湧いてきます。「本音」によって聞く人の興味を引く渡辺守成さん、なかなかの人物だと思います。
2019年12月31日のNHK紅白歌合戦で美空ひばりがAIで再現されて「新曲」を披露したそうで。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000706.000019470.html
で、紅白序盤のほうで「AI歌唱」として美空ひばりが再現される製作過程の紹介VTRが流れていたんだけど、まず思ったのが「美空ひばりは金儲けツールなんだな」といううことだった。あとは「死んで何十年も経ってなおこんな形でいいように利用されてしまうんだな」と。
そして、天童よしみのインタビューとか、会議室で厳かに作詞する秋元康の姿とか、 そういった絵面がザ・悪趣味グロテスクバラエティショーを強化していて、NHK性格悪いな、よりによってこれを紅白の時間帯にお茶の間に投げ込んでくるのかと最近のテレビショーギョーカイの進歩に唸らされた年末であった。
ただまあ、それ言い出したら例えば「織田信長の再現肉声」もグロテスクになる筈なんだがそうは思わないよなあ。
「 相模原事件を考える~公判を前に 被告と面会した牧師の奥田さん いま伝えるべき言葉とは」https://mainichi.jp/articles/20191213/k00/00m/040/313000c
2016年7月26日、相模原市の「津久井やまゆり園」で19人を殺害し26人を負傷させた植松聖被告。その植松被告と接見した牧師、奥田知志のインタビュー記事。
記事の中で「役に立つ人間になりたい」「他人に迷惑をかけてはいけない」「自分で自分のことができないうやつは死ね」「生きる意味がない命」「生かしておく余裕はこの国にない」といった言葉が出てくる。
実に「正しい」考え方のオンパレードで、この記事を読んでいると、いつ自分は「正しい」人たちに殺されるのか、そして殺されても同情すらされることなくむしろ「あんなの死んで当たり前だろ」という世間様社会様の「正しい」コメントをいただくことになるのか、と暗澹たる気分になる。
そして、別の事件のことを思い出す。2019年6月1日に元農水事務次官・熊沢英昭容疑者が息子を刺殺した事件。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65763
以前からそんな風潮はあったけど、最近はますます露骨になっている。私自身はいつ「生きる意味がない命」認定されて殺されるのだろう、という恐怖。
因みに、「殺される」ってのは刺殺なんて直截的で分かりやすい方法ではなく、もっと巧妙な「正しい」方法で殺される、ってことね。
そして、「自分が”生きる意味がない命”認定されるわけないじゃない」というファンタジーを無邪気に信じ続けられる人たちがたくさんいるというホラー。
私も一生ファンタジーの世界に生きていたかった。
マスコミが偏向報道をしたり時にデマを流したりすれば批判の声が上がる。それは当然のことだと思う。そして、インターネットにおいてはブログやSNSなどで、マスコミでない個人や団体が時に偏向した情報やデマを流す。そしてそれに対して批判の声が上がる。
…と思っていたのだが、「ブログやSNSなどで、マスコミでない個人や団体が時に偏向した情報やデマを流す」ことに対して「情報の真偽は受け手が判断すればいい。インターネットは正しい情報しか流しちゃいけないの?」というようなご意見を目にした。
「情報の真偽を受け手が判断することの重要さ」と「偏向やデマを流すことに対する批判」は別物なんだけれど、それをごっちゃにするテクニックを目の当たりにし感心させられたがそれはまた別の話。
もちろんマスコミは「公器」であり、ネームバリューも(未だになんだかんだ言って)高い。ゆえにマスコミがいい加減なことをしてもらっちゃ困る。
しかし、マスコミでない個人や団体がいい加減な情報を流布することに対して「情報の真偽は受け手が判断すればいい。インターネットは正しい情報しか流しちゃいけないの?」と言ってしまっていいのだろうか?
ここからは自分の仮説になるのだが、「マスコミを叩くことありき」な人がこの手の発想に陥りがちなのではないか。あるいは「自分が気に食わない対象を叩くのに使えるデマや偏向」はオッケーだと考えているのではないか。
マスコミでない個人や団体が流す情報に対して「情報の真偽は受け手が判断すればいい。インターネットは正しい情報しか流しちゃいけないの?」という発想を採用すると、マスコミが偏向やデマを流すことだって「マスコミが偏向やデマを流そうともそれは受け手が判断すればいいのではないですか?マスコミは正しい情報しか流しちゃいけないの?」ということにもなりかねない。私はそういった意見を採ることはできない。
2018年6月15日の衆院厚生労働委員会において、参考人として招かれた人に「いい加減にしろ!」とヤジをとばした穴見陽一議員。
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/judoukitsuen-yaji-anami
受動喫煙対策が議論された衆院厚生労働委員会で、6月15日、参考人として招かれたがん患者が意見を述べている最中に、自民党の穴見陽一議員が「いい加減にしろ!」とヤジを飛ばしていた。
そして、穴見陽一議員は『「お詫び」と題したコメントを発表』。
https://www.sponichi.co.jp/society/news/2018/06/21/kiji/20180621s00042000143000c.html
「この度、去る6月15日に行われた衆議院厚生労働委員会において、参考人のご意見の際、私が『いい加減にしろ』といったヤジを飛ばしたという報道がありました。まずは参考人の方はもとより、ご関係の皆様に不快な思いを与えたとすれば、心からの反省と共に深くお詫び申し上げる次第でございます」と謝罪。
「もちろん、参考人のご発言を妨害するような意図は全くなく、喫煙者を必要以上に差別すべきではないという思いでつぶいたものです」と釈明し「とはいえ、今後、十分に注意して参りたいと存じます。この度は誠に申し訳ありませんでした」と謝罪の言葉を繰り返した。
穴見氏は大分1区選出で、ファミリーレストランを展開する「ジョイフル」代表取締役相談役。
「ご関係の皆様に不快な思いを与えたとすれば、心からの反省と共に深くお詫び申し上げる次第」という教科書通りの様式美。典型的な「謝罪になっていない謝罪文」。穴見さんの言動は悪くないですよね。不快な思いをした側の問題ですものね。
さて、それはそれとして、穴見陽一さんの「お詫び」を読みますと、穴見さんは以下のようなお考えをお持ちのようです。
わたくし学も教養もない頭の悪い人間ですので、さっぱり意味がわかりません。ただ、議員は自分の発言・言葉を軽視すべきではないと思います。
https://twitter.com/officeSugano/status/1010079802550677504
参考リンク:穴見陽一公式サイトのプロフィール
「金持ちが金を使って経済を回すのが一番効率いい」という持論を展開。↓
金持ちが金を使って経済を回すのが一番効率いいんで。低所得層にお金渡しても貯蓄に回るだけで、経済は動きませんよ。そうやってすぐネトウヨとか、尖った言葉使うの、かっこ悪いと思いますよ。 https://t.co/7xhzIGCAkn
— nu / Nenonani (@Nu_fps) April 27, 2018
それに対する指摘。↓
まったく逆です。少数の金持ちが大きな資産を得ても無限に蓄財が膨れ上がるだけですが、食うや食わずの貧困層は貯蓄などする余裕がないのでもらった分だけ消費し、しかもその金は地域経済の一番下から、多くの人数によって様々な形で経済を押し上げる。 https://t.co/FFWx7JQGxm
— CDB (@C4Dbeginner) April 27, 2018
具体的な数字を挙げて「どっちのほうが金使ってますかね、、、」と持論を展開。↓
なんか一様に「消費性向は所得が低いほど高い」「だから低所得に金配れば景気が良くなる」プラス罵声を頂くんですが、
仮に年収400万で50%消費に回す人と年収1000万で30%消費に回す人といて、どっちのほうが金使ってますかね、、、— nu / Nenonani (@Nu_fps) April 27, 2018
その理屈で言うとこうなりますよね、というツッコミ。↓
つまり、同じ1000万円を分配するなら、一人が1000万円を獲得するより、2.5人が400万円ずつ獲得する方が、より多くの消費に回る、という結論になるということでよろしいでしょうか。 https://t.co/rgEY6LeM03
— じこぼう (@kinkuma0327) April 28, 2018
人間色々な主張をすることがあるわけだけど、自分の主張に対して自分で反例を探したり反論・ツッコミを試みておかしなところがないかを検証する作業というのは大事だと思う。そういうのって重要視されないのだろうか?
「罵声を頂くんですが」という被害者ヅラテクニックより重要だと思うんですが…