嫌いな連中に自分の意見を決めてもらう人生

 さまざまな話題(2023年9月現在だと、インボイスとか神宮外苑再開発とか)に対して「自分はこう思っているんだけど、嫌いな連中が自分と同じ意見を言っているので意見をいう気が失せた/自分は間違っているんじゃないかと不安になった」という旨の発言をしている人を複数(というかかなりの数)見かけて素朴に驚いている。

 仲の良い人・好きな人だからといってその人が自分と同意見とは限らないのと同じで、たまたまある話題に対して嫌いな連中が自分と同じ意見を持ったとしても「まあそういうこともあるよね」なのではないか。

 ただ、忌避感や不安を鎮める解決法が無いことはない。あなたの嫌いな連中の発言を日々観察し、あなたはそれと反対の意見を“自分の意見”として採用すれば良い。

 それって「嫌いな連中に自分の意見を決めてもらう」ってことなのだけど、嫌いな連中が自分と同じ意見を言うことに忌避感を持ったり不安になったりしてしまうのであればそうするしかない。他人はコントロールできないのだから。

 それってしんどい人生だなあと私は思うが、そうは思わない人が実は多数派で「普通」なのかもしれない。

人に向けて自転車のベルを鳴らす問題

 2023年6月に「自転車に乗っている時に、進行方向に歩行者がいた。その時に自転車のベルを注意喚起のつもりで鳴らしたら歩行者にキレられた」という記事を目にした。

 まず、自転車のベルは車のクラクションと同じでむやみに鳴らしていいものではない。あくまで非常時に鳴らすものである(道路交通法の第五十四条(警音器の使用等)2項)。しかし、自転車は乗るのに免許が必要なわけではない。ベルはむやみに鳴らすものではないということを知らない人も多いだろう。

 自転車に乗っていて、前方に歩行者がいたとする。その時「自分が通ることを歩行者に知らせるために自転車のベルを鳴らすのがルールやマナーである」と考える人は実は多いのではないか。

 自転車のベルを鳴らす際に、「自分はルールやマナーを守って、前方の歩行者に自分の存在を知らせるためにベルを鳴らしている」とピュアに思っている人は多いのではないか。そして、それを自分の子供に教えている人もいる。というかそういう人を見かけたことある。

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「お金に頼らず生きたい君へ 廃村「自力」生活記」服部文祥

サバイバル登山、アーバンサバイバルの服部文祥氏の本。現代の社会・経済構造やそれに否応なしに組み込まれている我々、という問題意識を根底に進んでいく本だと思った。

登山をする中で知った廃村の土地付き廃屋を購入し、家屋の掃除・補修・改造をし、ライフラインを整備し、テレワークをしながら狩猟をしつつ生活をしていく、という内容。

小屋暮らしセミリタイヤのエクストリーム版、という感想を持った。これを真似できる人は少ないと思う、少なくとも私には無理だ。

しかし、服部氏の持つ問題意識を持つ人は私を含めそれなりにいるだろうし、この書籍から何かを採り入れて生き方に反映できるのではないか、と考えた。ひ弱で現代の経済構造に組み入れられている私にも参考にできることがある。

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人を追い込んで殺人鬼にする方法 / 「つけびの村」高橋ユキ

 2013年7月に山口県で発生した連続放火殺人事件に関する本。

 マスコミで報じられた、「殺人事件の原因」や「閉鎖的な村の実態」はかなり違う、ということが集落の人への聞き取りなどを根拠に指摘されている。そして容疑者本人との接見についても書いてある。

 この事件は、誰かが「この人を追い込んで殺人鬼にしてやろう」としたわけでもないのだが、色々な歯車がずれて(かみ合って?)結果としてあのような惨劇が起きてしまった…という感想を持った。

 読んでいて、読み終えて正直寒気がした。自分もちょっと間違えば頭おかしい認定されて(あるいは本当に頭がおかしくなって)凶行に走ってしまうのではないか、という恐怖。

Amazonでの購入リンク:「つけびの村」 高橋ユキ

2022年7月8日 安倍晋三銃撃されて死亡

 この事件で「民主主義の危機!」と言っている人がいるけど順序が逆で、民主主義や司法や行政や経済が破壊された結果としてこの事件が起きた。

 そういった社会の基盤を破壊してきた張本人の末路がアレなのか、と思うと考えさせられる。

「人間であることの資格」に関する認知

「勃起不全=人間ではなくなった」という考え。(2022/5/12現在非公開ツイート)

https://twitter.com/76ouij0qhqx50/status/1524171131191631872

「結婚してやっと人間になれる」という考え。

https://twitter.com/63cities/status/1523512564852101120

会社員の知人が、メンタル疾患になり心療内科に行き職場にそれを報告して会社をしばらく休むことになった時に「自分は普通の人間にすらなれなかったダメな存在なんだな」と認識し、それを十年二十年という長さで未だに引きずっている、という話をしていたのを思い出す。

人間とは何か。

鈴木幸一さんは「口にしようものなら、徹底批判されそうである」と自覚していた

重要な仕事、「家事」を忘れている   経営者ブログ 鈴木幸一 IIJ会長

 2021年3月2日の2:00に公開され、その日の15:38に「(一部不適切な表現があり、筆者の承諾を得て当該部分を削除しました)」という、IIJ会長鈴木幸一さんの文章。削除された部分は以下のとおり。

男女差別をなくすには

わが身を振り返ると、毎日、毎日、たくさんの時間を費やして家事に集中していた時代の女性には、すごみがあると、母親の料理や洗濯などを思い出す。友人は「そんなもんだよ。男の仕事はほとんどが、ある程度の知識があると、なんとかなる。形はともかく、その核心まで、考え抜いた結果というのは、少ないはず」と言う。わが国も、徹底して男女差別をなくそうと、日々、そんな話がメディアに報道されている。東京都では、今後、2~3年間で、あらゆる審議会の男女比率を6対4にするという。つまり審議会の委員の4割は女性になるという方針が出されたようだ。それも変な話である。男女を問わず、にわか知識で言葉を挿むような審議会の委員に指名されるより、女性が昔ながらの主婦業を徹底して追求した方が、難しい仕事だし、人間としての価値も高いし、日本の将来にとっても、はるかに重要なことではないかと、そんなことを思うのだが、口にしようものなら、徹底批判されそうである。本当の男女差別をなくそうということであれば、目先の形だけを追求していても仕方がない気もするのだが。

 味わい深いなと思ったのは引用部後半にある、

「男女を問わず、にわか知識で言葉を挿むような審議会の委員に指名されるより、」

「女性が昔ながらの主婦業を徹底して追求した方が、難しい仕事だし、人間としての価値も高いし、日本の将来にとっても、はるかに重要なことではないかと、」

が対比されている点。「男女を問わず」で始まっているのに対比される部分の書き出しは「女性が」となっており、そこで敢えて男性を除外したのは何か理由があるのだろうか?と素朴な疑問を持った。

 例えばこの部分、「男女が昔ながらの主婦業を徹底して追求した方が、難しい仕事だし、人間としての価値も高いし、日本の将来にとっても、はるかに重要なことではないかと、」と書けば、文章の構成上も「男女差別をなくすには」という小見出し上も自然な流れになるし、加えて言えばここまで批判もされなかったんじゃないか。

 文章の構成や流れを不自然なものにまでして、わざわざ主婦業の話から男性を除外し、ご自身も認識していたとおり「徹底批判されそう」な文章を書いた鈴木幸一さん、一体何をお考えになられていたのだろうか。

 鈴木幸一さんの文章についてのツッコミの数々を以下に紹介する。

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娯楽としての怒り

「怒り」というのは、非常に簡単な娯楽だというのは今までも繰り返してきた通りで、まず素養が要らない。知識が要らない。練習が要らない。道具も要らないし人手も要らない。カラオケみたいに音程合わせる必要もない。しかも、「正義のため」なら後ろめたくない。

 「怒り」ってのは知力も体力も精神力も要求される行為で、しかもそれらをすり減らしていく行為なんじゃないの?と思ったんだけど、「非常に簡単な娯楽」としてしか怒ったことが無い人はこういう考えに至るのかも。

 まあ、この考え方は、怒っている人を冷笑したい時に使えるテクニックなのでこういうのが必要な人生を送っている人は覚えておくといいと思います。
 もちろん、怒ることの無い人生ってのは非常に難易度が高いので、何かに怒った時の自分自身に冒頭のような言葉が返ってきます。

「この手のことを言う人って怒ったことないのかな?ずいぶん楽な人生歩んできてるなあ羨ましいなあ今からでも俺と人生変わってくれないかなあ」と素朴な疑問が出てきますが口にはしません。

2021/5/29追記:

https://friday.kodansha.co.jp/article/182699

「怒り」というのは非常に簡単な娯楽、という人たちは、上のリンクで紹介されているWADA氏のような人をどう見るのか、非常に興味深い。

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とにかく五輪を開催しTai!今更やめられるか!

日刊スポーツによる、国際オリンピック委員会(IOC)委員で国際体操連盟(FIG)会長である渡辺守成氏のインタビュー記事。

https://www.nikkansports.com/sports/news/202011110000925.html

「開催しなければ日本の経済がガタガタになる」「投資は回収すべき」渡辺守成さん、知性溢れる大変素直でおもしろカッコイイ発言だと思います。

そして極めつけは「今の東京五輪は丘の上の豪邸。そこが火の車になろうが、コロナでどうしようが、全く国民は興味がない。そうではなく、みんな一緒に長屋に住んでいて火事になれば、みんなで助ける」。

豪邸から出るつもりもないくせに、とか、長屋に住んでいる人たちだってコロナで七転八倒しているんですよまさか自分だけが大変だと思ってる?などツッコミどころが山ほどありますが、長屋に住んでいる国民どもが豪邸に住んでいる俺たちを助けて当然だ、という熱い本音がひしひしと伝わってきます。ご苦労さん帰っていいよ。

こういう人を見ると、本人の顔や名前はどうでもいいけど、この人の両親の顔と名前にたいへん興味が湧いてきます。「本音」によって聞く人の興味を引く渡辺守成さん、なかなかの人物だと思います。

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紅白歌合戦での美空ひばりAI再現

 2019年12月31日のNHK紅白歌合戦で美空ひばりがAIで再現されて「新曲」を披露したそうで。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000706.000019470.html

 で、紅白序盤のほうで「AI歌唱」として美空ひばりが再現される製作過程の紹介VTRが流れていたんだけど、まず思ったのが「美空ひばりは金儲けツールなんだな」といううことだった。あとは「死んで何十年も経ってなおこんな形でいいように利用されてしまうんだな」と。

 そして、天童よしみのインタビューとか、会議室で厳かに作詞する秋元康の姿とか、 そういった絵面がザ・悪趣味グロテスクバラエティショーを強化していて、NHK性格悪いな、よりによってこれを紅白の時間帯にお茶の間に投げ込んでくるのかと最近のテレビショーギョーカイの進歩に唸らされた年末であった。

 ただまあ、それ言い出したら例えば「織田信長の再現肉声」もグロテスクになる筈なんだがそうは思わないよなあ。