10周年

 なんやかんやで10周年。そうなのか10年なのか、といった感じ。まあほぼ毎日更新しているようなサイトの10年と、このサイトの10年とではだいぶ意味合いが異なるとは思うが。
 最近よく目にする言説で「ネットでは自分にとって都合のいい情報ばかりを選ぶことができるのでいろいろと偏ってしまう」ってのがあって、それは確かにそうだと思うのだけど、ここではちょっと違う話をしたい。
 昔から自分にとって面白いものを読みたくてネットを続けてきたし今も続けている。そして面白いものは昔もあったし今もある。これからも出てくると思っている。もしもネットをしていなかったらその面白いものを一生目にすることがなかったかもしれない。それに面白いことをやっている人と友人知人になることができた。ネットをしていなかったら絶対に会うことはなかっただろう。
 そういう意味で、この10年は「自分にとって都合のいい」情報や人に触れてきた10年とも言える。で、それは自分にとってとても楽しかったことだしこれからも楽しいことだと思っている。
 色々なサイトを見て、色々な人と友人知人になった。閉鎖されたサイトもあるし、今では疎遠/消息不明になってしまった人もいる。もしここを見ていたら連絡ください。
 私はまだダラダラとここにいるつもりなので、どうかよろしく。

世代にレッテルを貼るのはとても楽しい

 かつて「ファミコン世代」「酒鬼薔薇世代」等々のレッテルを貼られて非難をされてきた世代は、「ゆとり教育世代」というレッテルを手に入れた。ようやく下の世代を攻撃できるようになったね!おめでとう!

9周年過ぎていた

 先月の28日でサイト始めて9年が経っていた。すっかり忘れていた。
 ただただ書きたいことを書いてきた。サイト運営の方針とか戦略とかは殆ど考えたことがない。根がぐうたらでなので更新頻度が少なかったりやりかけたことをほったらかしにしたりと、怠惰なサイト運営をしてきたが、だからこそ今もこうして続けられているのかもしれない。
 最近特によく感じるのは、自分の思ったことを文章に記すうえでのインターフェイスのまだるっこしさだ。日々の経験を通じて、他所のサイトの文章を読んで、ゲームしたり音楽を聴いたりして思うことはたくさんある。ここに書きたいようなことが実はたくさんあるのだ。でも、頭の中に浮かんだことをキーボードを通じて入力する、というプロセスがじつにまだるっこしい。修行が足りんと言われればそれまでなのだが(余談だが、さらにたちの悪いことに自分の思いを口にするときにも同様のことを感じてしまうのだ)。
 こんな悩み(?)をかかえつつ、チャンバラクロックはまだまだ続きます。

サイト始めて8年経った

 私がサイトを始めたのが8年前の今日でした。すごいよ!8年も続いたんだ!(更新頻度は少ないけど)
 しかもしかも、飽きたとかやめようとか思った記憶がない。(気分が乗らないときは無理に何かしようとせず放置してたしな)
 インターネットは楽しいな。

みんなファッションモデル

日本女性に『パリ症候群』
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20041215/eve_____kok_____000.shtml

こういった女性は「パリにはヴィトンのバッグを提げたモデルがあちこちにいると思い込んでいて、夢と現実の差にショックを受ける」という。

 この記事を見たとき、capsuleのキャンディー キューティーという曲の歌詞が頭に浮かんだ。

都会の女の子は みんなファッションモデルで
おめかしをしていないと 罪になるの レディーって大変ね

CUTIE CINEMA REPLAY
capsule 中田ヤスタカ

by G-Tools

 頭ではそんなわけないじゃんと思いつつも、パリ(フランス)という言葉を聞いてまず頭に思い浮かぶのはおめかししたファッションモデルであったり野宮真貴やcapsuleのボーカルであったりする。俺の頭はおフランスでざんす・おフランスざますというイメージに毒されすぎ。

大学院進学

http://d.hatena.ne.jp/nobuhiro-n/20041201
 友人知人に博士課程後期までいったヤツが複数いたよなあなんてことを思い出した。そのうちの一人とはたまに会うのだが、やっぱり職に就いて食っていくということを気にしている。

ずいぶんとほったらかしですが

 MTがバージョンアップしているようなので、3.1日本語版が出たらMTの入れ替えを行おうと思います。
 もうしばらくは、はてなのほうでダラダラやらせていただきます。最終的には、はてなのほうは運動日記とかURLメモとして使うようにする予定です。

健全な子供の脳

 極東ブログの2004.07.01エントリー「子どもがキレて何が悪い」を読んで思ったことをつらつらと。
 森センセーや澤口センセーって実はものすごい権力を持っていたのね、とか、違うか、権力者があの2バカの言ったことを真に受けちゃったのかな、だとしたらあの2バカは勝ち組になれたわけだよかったね、とか、「健全な発育」「健やかな成長」って何をもって判断するんだよ、とか色々思ったのだが、まあそんな与太話はいいや。
 冒頭で紹介したエントリーのコメントにもあったのだが、光トポグラフィとMRIが今の流行だから予算が取りやすいとかそんなところなんだろう。
 さて、finalvent氏は「脳の働きは心の働きと共時的な変化の相を示す。しかし、それは因果関係ではない」と書いている。このことについて素人なりに考えてみたい。
 なんらかの心の動きに応じて、脳が特定の動きを示したり、特定の化学物質が出たりすることはあるだろう。また、脳に電極を刺したり薬物を投与したりすることで人間の動きが変わることもあるだろう。ただ、このふたつを以って「心と脳の因果関係」と言ってしまっていいのか。私は懐疑的だ。脳の膨大で複雑な神経網の中に心というものが存在する、という物言いは、とてもそれっぽいし本当にそうなのかもしれない。でもどこか腑に落ちない。
 例えば、授業中席に大人しく座っていることもできず、騒ぎながらうろうろと教室を歩き回っている子供がいたとしよう(今は知らないがこういう子供は大抵「落ち着きがない」と教員に評される)。で、その子を椅子にロープで縛り付けて更に猿轡をかませて、それで「この子の状態が改善されたよかったよかった」なんてことを言い出したら「ふざけてんのかおまえ」と私は叫ぶだろう。
 「腑に落ちない」と書いたのは、つまりそういうこと。体を縛るのと脳を直接触るのとでは違うと言われればそうかもしれない。しかし、脳に薬物投与したり電極を刺したりすることにより人の動きが変わったとして(というか多分変わるだろう)、それで人の心が変わったと言うのはどうなんだろう?
 極東ブログのエントリーで紹介されていた記事を見る限りでは、文部科学省はとりあえず調査をすると書いてあるだけなんで、これで脳をいじるとかそういう話に直結するとは思わないけど。
 まあ、この動きを利用するバカは(まさに前述の2バカとかそれに誑かされたバカとか)出てくるんだろうけどね。
(追記)
 妄想。おそらく「健やかに育っている子」と「キレやすい子」の脳活動の違いをそれらしく分類するんだろう。そして「健やかに育つ子は脳のこの部分が活発に活動しています。この部分の活動を活発にするための子育ての方法はこれこれこうであり、それによって健やかな子供が育ちます」とかそういう方向に持っていくのだろう。何を以って「健やか」と認定するのか私には全くわからないし彼らが言う「健やか」定義の説明を見たこともないけどさ。
 で、相関関係と因果関係をわざとごっちゃにして何か言うつもりなのかなあ。